2010/11/18

記念写真撮影に〃奔走〃…柄にもなくセンチな気分に…

20年目の11月17日は見事なまでに晴れわたった。最近はカメラを構えて取材する機会がつとに減ってしまったが、やはり「この日」だけは「6・3」と並んで、そういうわけにはいかない!

手はじめに向かった先は平成町の埋立地。途中、島原深江道路上で車を停め、対向車線脇にある防護柵に飛び乗ってまず〃連写〃。山頂付近には淡い白雲がたなびき、眉山の紅葉も今が盛りの様子だ。

踵(きびす)を返して車に戻ろうとしたら、有明海が淡い冬の日差しの中で鈍(にび)色に輝いている。視線の先には「秩父が浦」や「九十九島」など島原を代表するジオパーク遺産群。勿論、シャッターを切りまくった。

お次はサブアリーナ前まで移動して、「龍馬像」との〃ご対面〃。「ハリボテではないか」との指摘に対しては、「後は地元のおまんらの努力次第ぜよ」との囁きが聞こえてくるようだ。

続いて「水無川」へ。災害当時、この付近一帯は賽(さい)ノ河原(かわら)だった。土石流映像を撮影中に買ったばかりの新品のビデオカメラ(約15万円)を落としてしまったことなどを思い出した。

そのまま川沿いを走り抜け、旧大野木場小学校到着。校庭の片隅では、地元住民の期待を受け瀕死の状態から見事に蘇ったイチョウの大木が鮮やかな黄葉を見せていた。

さらに北上―。人影もまばらな荒野では、今日も「砂防工事」が粛々と進められていたが、少し下りた沿道でイチョウの植林が大がかりに進められていたのにはビックリ!

時間の制約もあるので、その場も早々に引き揚げ、次なる目的地「垂木台地」に向かった。砂防ダム上に架かる橋の上では、どこかのテレビクルーが撮影に汗を流していた。

「まゆやま道路」を上りつめていくのに合わせて、「平成新山」の威容も段々と増してくる。路傍のススキの穂が風に揺れ、季節感も満点だ。

残念ながら、「平成新山ネーチャーセンター」は休日の様子だったので、山肌近くからの撮影は諦めて、再び「海」を眺めた。綺麗だった。もっと言えば、素晴らしい「観光資源」だと思った。

例えて言うなら、モノトーンのスクリーン上で繰り広げられる、見事なまでの「光」&「影」のスペクタルショーである。

視界は天草の島々を超えて不知火海まで及び、遠い昔に「島原の乱」(1637年)の発火点となった湯島(談合島)の島影がやけに郷愁を誘う。

柄にもなくこんなセンチな気分になったのは、昨夜読んだ司馬遼太郎さんの『街道をゆく』(第17巻)のせいだろうか…。

人間にとっての20年は比較的長い歳月だが、4万年ぶりと言われる造山活動からすればほんの一瞬。自然と人間の係わり、そして歴史の重みを改めて噛みしめた一日であった。