「平成新山」に登る②…名残り留める風穴と氷室(ひむろ)
〃その場〃を取りなしてくれたのは、他ならぬ我が社のカメラマンT君。「うちはAと2人申請していましたが、Aの代わりに専務ということで…」。
「何言ってるんだ。俺はかりそめにも清水先生直々に誘いを受けたんだぞ!」と息捲(ま)こうかとも思ったが、大人げないので止めた。それに、その男性も〃責任感〃から発した言葉だろうから…。
出発に当たって、松島健・九大准教授とジオパーク事務局の寺井邦久先生(県教育センター主任指導主事)から、改めて諸注意。「なるほど、最初から余り着込んではいけないんだ」と、下着1枚を外した。
まずは全員で行程の無事を祈って、ロープウエイ駅脇にある「普賢神社」に安全祈願。筆者も清水先生と並んでお参りした。
そこから最初の休憩地「あざみ谷」まで同先生と歩く。途中、学生時代の貴重な体験談やこれまでの登山歴などの話が伺えて、とても面白かった。
読者の皆様もよくご存知の通り、仁田峠からあざみ谷までの距離は起伏も少なく、比較的楽なコースである。ただし、少し気になったのはペース配分。
先生は「ボクはゆっくり歩くので」と言われたが、筆者は内心「少し速過ぎじゃ?」と訝っていた。間もなく、その杞憂(きゆう)は〃現実〃のものとなった。
「いかん!」と思ったが、時すでに遅し。またしても有酸素運動への「切りかえ助走」に失敗してしまった…のだった。
10分ほど休んだ後、次なる目的地「紅葉茶屋」へ。急速に階段が増えて、息も上がってくる。「おかしい。経験から言っても、こんなはずはない」と自身に言い聞かせるのだが、カラダは正直だ。
20分ほど歩いて、ようやく紅葉茶屋に到着。松島先生ら先発隊の面々は余裕綽々の表情だ。それを横目に、リュックから水を取り出し、チョコバーとともに流し込んだ。
ただ、そこから先はようやくカラダも馴染んできたのか、息も整ってきた。そのまま左折すれば妙見・国見岳方面に繋がる交差点を右折。「立ち入り禁止」のロープ張り看板を超えると、いよいよ未踏の世界(警戒区域)だ。
しばらく進んで、最初の「風穴」発見!奥深く設置された「傾斜計」と「地震計」は、溶岩ドームが地表に出現する際の〃予知〃に成功した、という(平成3年5月)。「画期的だった」と、清水先生。
前面には「氷室(ひむろ)」と呼ばれる、天然の冷蔵庫。島原で養蚕(ようさん)が盛んだった頃には、カイコのタネがその場所に保存されていた、ということだ。
ジオパーク事務局の杉本伸一さんによれば、ここ以外にも多数の風穴があり、それぞれ〃個人所有〃だったというから、産業史や民俗学的観点から見ても、なかなかに面白い話ではないかと思った。
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