2010/12/01

「平成新山」に登る⑤…何事も、深めれば広がる!!

童謡『通りゃんせ』にもあるように、山登りの場合も「行きは良い良い、帰りは恐い」というフレーズがぴたりと当てはまる。とにかく、登った以上は下りないといけないのだから、厄介なのである。

よく、下り坂の辛さを称して「膝が笑う」などといった表現がされる。しかし、疲れも度を越してくると、「笑う」どころか、膝全体が連続してシャックリをしているようなものだ。

「火山尖岩」からの帰路は同時に、「恐怖の連続」でもあった。何せ、思ったように歩が進まないのであるから、いつ転げ落ちてもおかしくはなかった。打ち所によっては…。

ただ、「転ばぬ先の杖」とは良く言ったもので、その時ほど持参した「ステッキ」の有難みを感じたことはなかった。一方で、忍び寄る「老化」の影に怯えたのも事実である。

実際に計ったわけではないが、恐らく、「登り」に要した時間とほぼ変わらないくらい「下り」にもかかった、と思う。極端に言えば、このふくよかなお尻と伸縮自在のステッキだけが〃命綱〃だったのだ。

何はともあれ、ひとまずは山頂からの下山に成功。正面では、かつての溶岩ドーム跡と言われる「立岩の峰」が苔むしたような外観をさらけ出していた。

さらにそこから進むこと10数分。今度は北向きの屏風岩と対面。聞けば、そこがかの有名な「霧氷沢」。その名の通り、冬場の霧氷見物には絶好のビューポイントだという。

もうここまで来たら、普賢岳頂上は「指呼(しこ)の間(かん)」。ほぼ1年半ぶりにかつての〃頂点〃に立って、先程まで滞在していた新山を振り返ってみたが、雲が災いして全体像は掴めなかった。

とその時、「シミズマモルさんはいませんか?」と無線連絡が入ってきたのでビックリ!一瞬、何か起きたのではと心配したが、筆者の登山仲間と「紅葉茶屋」の休憩所で遭遇した清水先生(先発隊)からの事務連絡であった。

ならば!と仲間との〃合流〃を果たすべく急いで下りようとしたが、とにもかくにも脚が言うことを聞かない。そのうちに右膝に激痛が。それでも行くしかない。木々の幹や枝にもすがって、滑るようにして高度を下げていった。

やっとの思いで「あざみ谷」到達。リュックを背負ったままベンチに腰掛けて周囲の動きを観察してみるが、皆さん、疲れた表情など微塵も窺えない。個人の資質の問題か、寄る年波か…。もう、苦笑いを浮かべるしかなかった。

仁田峠までの最後の行程は清水先生が一緒に歩いてくださった。その時、先生から「とっておきの話」を伺ったが、関係方面にご迷惑をかけても困るので、ここでは敢えて語るまい。

ただ、少しだけヒントを言えば、研究の世界でも何でも「深めれば広がる」という普遍的な真実である。機会があれば、また是非参加したい。山はそこにある。 
 
-おわり-