2011/01/01

出でよ、平成の信長&龍馬…情報戦を制して〃天下〃を狙おう!!

「推敲」(すいこう)と言えば、中国の故事に由来した言葉で、皆さんもきっと耳にされたことがあろう。何故こうした書き出しになってしまったのか?それは、取りも直さず「推敲」の為せる業(わざ)である。極論すれば、「推敲」を重ねる余り、せっかく書き上げていた長尺の原稿をボツにしてしまったのだ。嗚呼…。

故事によれば、唐の時代、「科挙」(官吏登用)の試験を受けるため長安にやって来ていた賈(か)島(とう)が詩作の途中で、「推(お)すか、敲(たた)くか」で大いに悩んだ挙げ句、知事である韓愈(かんゆ)の行列に突っ込んでしまった、というエピソードにちなんでいる。転じて、文章を書いた後、何度も何度も読んで、練り直すことの意。

率直に言って、ボツにした原稿が特段「出来損ない」というわけではなかった。それなりに考え抜いたテーマだったし、力を込めて書いたつもりだった。が、いかんせんシックリこない…。

ましてや、一年の計を占うという「元旦版」である以上、変な失敗だけはしたくない。色んな不安が頭をもたげ、すっかり自信を失くしたまま、長時間にわたってパソコンと向き合っていたという次第だ。

しかし、よくよく考えてみたところで、筆者の書く文章に一々期待を込めて読んで下さるような奇特な読者などあろうはずもない。しょせん「雑文」。もっと気楽に、普段着のままの自分を晒せばよいではないか。そう思ったら、急に気が楽になった。

では何を書こうか?2011年はカボチャテレビが放送サービスを開始して20周年だし、あの「6・3大火砕流災害」からもちょうど20年。情報では、日仏合作のNHKのドキュメンタリーに加えて、TBS系の衛星放送でもドラマ制作が計画されているようだ。

どちらも大いに「島原の存在」を世にアピールしていただきたいものだが、やはり何より大切なのは、ここで暮らす我々の心の持ちよう(生きる姿勢)であろう。もっと直截に言うなら、島原の強みは何?どこがウイークポイントなの?

「推敲」に倣うわけではないが、「敵を知り、己を知らば―」という『孫子の兵法』の真に意味するところを見落としてはいけない。人生も世の中も「戦い」に変わりはないし、たとえ不利な状況が続いたしても、勝つ(生き延びる)チャンスは必ず隠されている。

先般、所用のついでに南九州・霧島温泉の麓にある「丸池湧水」を訪ねた。以前からその存在は知ってはいたが、一言で印象をいうと、「島原の原点」であるような清々しい気分を覚えた。

それは肥薩線・栗野駅の脇に佇む、一見何の変哲もない湧水池である。規模も白土湖と比べると、遥かに小さい。しかしながら、その存在感は圧倒的ですらある。例えていうなら、「四明荘」(新町・旧伊東邸)の拡大版のような感じなのだ。

たまたま筆者が訪れた日は曇天だったため、上空の青空とのコントラストは楽しめなかったが、豊富な湧水量(日量2万トン)と透明度は圧巻だった。また、音無川に相当する水路のせせらぎの風情も抜群で、妙に観光地ずれしていない点にさらに好感が持てた。

返す刀で「それに比べて島原は…」などといった論法は、正月ならずとも「野暮の極み」であるから止めておくが、同じく「日本名水100選」の称号を授かった地として参考にはなるはずだ。

ところで、新年のNHK大河ドラマは、人気の『龍馬伝』に続いて浅井三姉妹の一人『江(ごう)』ということだが、その主人公にとって伯父に当たる、天下人、織田信長は若い頃、自国に訪ねてくる旅人の話を好んで聞いては、各種の情報を収集していた、という。

「土地から土地へ歩いていく旅人というのは、今生きている同時代人が何を求めているか、という情報がそのまま歩いているようなものだ」(童門冬二『戦国を終わらせた女たち』)。つまり信長は、誰に教わるでもなく「情報戦の大切さ」を知悉していた、というわけだ。

いわんや現代は、インターネットの普及が猛烈な勢いで進むIT社会である。極論すれば「情報こそが勝敗の岐路となる可能性」が高い。言い換えるなら、市や商工会議所、観光協会などといった公的な区割りに縛られないで、それぞれの立場で「正しい&生の情報」を得ることがごく普通に可能になった。

要は、やる気とアイデア次第。それほどの資本力はなくても、十分に天下を窺える時代となってきたのだ。信長、龍馬とまではいかずとも、この島原半島の持つ潜在力を引き出し、さらにそれを天下に知らしめる「傑物」が一日も早く出現することを願って止まない。