年末掃除のやり残し…塵(ごみ)のように銭(ぜに)も貯まれば…
昨年末、中途半端なまま終わっていた仕事部屋の整理・整頓(掃除)に追われている。もう今日で3日目だ。忘れないうちに復習しておくと、「整理」とは不要なモノを捨てること。「整頓」とは元あった場所に戻すこと。
「ホコリやゴミんごてゼンも貯まれば良かとにね、マモッさん?」。昨年亡くなったお婆様の口癖だったが、本当に塵芥だけは増えこそすれ減ることがない。
まさに意を決して「断・捨・離」を実践しなければ、その勢いを制止することなど不可能なのだ。それ自体は分かっているつもりだが、いざ捨てるとなると、やはり「もったいない…」がつい先に立つ。
つまり、ここで求められるのは「エイ、ヤー」の思い切りの良さ。あれこれ考える前に、行動(破棄処分)に移れるかどうかがポイントなのである。
まあ皆さんも同じだと思うが、書類等に関して言うと、筆者の場合、大切に保存しておいて後から役立った事例などほぼ皆無。結局はゴミ箱行きの運命が待ち受けている。
「ならば!」との思いで、今回はいつにもまして思い切り良くゴミ袋の山を築いているわけだが、どことなく後ろめたさが残っているのも事実。ただ、ようやく「峠を越した」感じで、気持ちの方も段々と落ち着いてきた。
ところで、昨日から今日にかけてのニュースと言えば、民主党大会と、タイガーマスク、それに日本ハムの佑ちゃん。それぞれに手短に枕を振れば〈混乱〉〈善意〉〈人気〉ということになろうが、各社ともその論評に大差なし。ビートたけしさん言うところの「赤信号」でなく、「皆で青信号を渡っている感じ」がして面白くも何ともない。
だいたい、タイガーマスク絡みの話を美談仕立てにして、トップニュース扱いとする必要があるのだろうか?いつの頃からだろう、大手マスコミが我々のような地域紙が取り扱うような「小ネタ」まで取り扱うようになったのは?まるで「神々は細部に宿る」と言わんばかりに…。
余計なお世話だろうが、それぞれに「役割」、或いは「存在価値」のようなものがあるのだから、それぞれの分野で本来の働きをすべきなのでは?
今回のタイガーマスク騒ぎも、現時点では〃美談〃に留まっているが、一歩間違えば、得体の知れない団体などによる、金の力に飽かせた〃寄贈合戦〃になってしまう恐れすらある。
覚えておいでだろうか、今から20年ほど前、まことしやかに伝えられ、映画にまでなった「一杯のかけそば」の話を?今回はやや趣きが異なるとはいえ、皆で一斉に同じ方向を見て、考えることを取りやめてしまったら、世の中は一体全体どうなるのか?
そんなことより、今は掃除!掃除!
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