2011/01/30

馬鹿の後知恵物語②…「無常」だが「遁世」ではない

当初計画では、『方丈記・徒然草に学ぶ人間学』(致知出版)と、『悪名の棺・笹川良一伝』(幻冬舎)を柱に据えた「両面作戦」を考えていた。

ここで改めて紹介しておくと、前者の著者は東洋思想研究家の境野勝悟さん。後者は工藤美代子さんという気鋭のノンフィクションライター。余談だが、その父はベースボールマガジン社などを興した池田恒雄さんだ。

有体に言うなら、この2冊の本に書かれていることを引き合いに出しながら論を進めていきたい、と考えていた。が、結論から言うと、その考えは余りにも甘過ぎだった。

もう済んでしまったことなので、今さら何をどう「言い訳」したところで及ばぬことは分かってはいる。ただ、折角仕入れた「情報」なので、そのまま捨て置くのも「何だか勿体ない」という気もするので…。

てなわけで、それらの書物から学んだ「人生の智慧云々」といったものをご紹介することで、少しでも菩提寺のご住職や信徒の皆様に罪滅ぼしができれば、と思っている。

まず前者について―。前号でもお話した通り、『方丈記』という随筆集が完成したのは鎌倉時代の末期。西暦で言うと、1212年とされている。つまり、法然上人が没した年である。

ここ数日、新聞紙上を賑わせているのは、宮崎に端を発した鳥インフルエンザや189年ぶりと言われている新燃岳の溶岩ドーム出現のニュースだが、鴨長明が『方丈記』の執筆に取り組んでいたのは、まさに色んな「災禍」が頻発していた時代だった。

境野さんの記述によれば、「安元の大火」が起きたのは1177年。それから3年後に「治承の旋風」。翌1181年には大飢饉。極めつけが「長承の大地震」(1185年)といった具合だ。

つまり、時代がどう変わろうとも、大自然を前にした人間の営みには自ずと限界があり、いくら栄華を極めたところで、永遠に続くということはあり得ない、という教えである。

ただ一方で、境野さんは声を大にして述べている「方丈記も徒然草も『無常感』をテーマとしているが、決して遁世文学でもなければ厭世文学でもない」と。

その答えを探し出すことは至難の業であるが、日蓮や、法然、親鸞など偉大なる鎌倉時代の宗教家の布教の中に「大切な生き方のヒント」が隠されている、というのだ。

筆者が個人的にとても面白いと思ったのは、次のくだり―。「(鎌倉以前の)平安時代は、朝、みんな『南無妙法蓮華経』といっていた。夕方は『南無阿弥陀仏』と唱えていた。平安庶民はみんなそうやっていた」。

筆者は仏教の専門家でも何でもないが、何かしらその一文を読んでスッキリした。ちなみに、境野さんは上智大学(カトリック)のヨゼフ・ピタウ学長の親友だともいう。

-つづく-