2011/02/01

馬鹿の後知恵物語③…幼なじみだった笹川&川端

『方丈記』に関する知識は、書き出しの朗々たる名調子以外には殆ど持ち合せていないが、その点『徒然草』(1330年頃)はもっとポピュラーだ。と言うより、古典の授業に出てくる頻度がやや高いか?

いずれにせよ、境野先生の解説は、何につけても分かりやすい。例えば、浄土宗や浄土真宗の説教に出てくる「極楽」についても、「行けると思う人は行く、行けないと思う人は行けない」(法然)と、拍子抜けする程あっけらかんとした調子だ。

つまり、「地獄、極楽は方便(嘘)」であって、そんなことより「(生きている)今日一日を極楽にするよう、楽しく豊かに送りなさい」と、鴨長明や吉田兼好もそう教え諭しているんだよ、と説く。

かくして今、拙稿を書き起こすために、再び境野先生の著作に触れられる「歓び」を実感中。けど、よくよく考えてみれば、菩提寺のご住職や故・清水誠一さん(吾妻)との「ご縁」がなければ、こうした展開など考えられるはずもなし!まさしくもって「一切衆生悉有仏性」。筆者が「縁の尊さ」を訴えたい所以が、ここにある。

ところで&ところで、仏教を考えるのに一体全体なぜ、あの「笹川良一翁」まで出てくる必要があろう?誰が考えてみても不思議な組み合わせだろうが、実はこれにはある「伏線」があったのだ。

かつて国連関係の役職に就いていた、然るべき立場の人物から直接伺った話なので「実話」だと信じて疑わないが、某国際資金援助の件で笹川さんのもとに相談に出向いたら、ナント「6億円もの大金」をポーンと寄贈してくれた、というのだ。

こう言っては何だが、世間一般に流布している笹川さんのイメージは、著者の工藤美代子さんが本のタイトルにも冠しているように「悪名」そのものである。もっと言うなら、「世界は一家、人類はみな兄弟」などと綺麗事を並べたところで、競艇事業胴元のギャンブル・イメージがどこまでも付きまとう…。

それでも、この人物が我が国で初めてノーベル文学賞を受けた故・川端康成さんの「竹馬の友」であったことは新鮮な驚きであったし、小学校を卒業して2年間ほど近くの浄土宗の寺院で修業をしていたことも想定外の経歴であった。

はっきり言って、『悪名―』は読み物としては、すこぶる面白かった。仮にそこに描かれた通りの人物であるなら、笹川さんは間違いなく稀代の「英雄」である。そう思う。

ただ、世間一般からすれば「功成り名を遂げた」に違いない生涯(平成7年7月19日没)であったろうが、笹川さんご本人の「仏心」や如何に?

全ては「棺を覆うて事定まる」というが、まぁそんなことより桜井寺婦人会の皆さん、お互い今を大事に生きましょうや。南無阿弥陀仏!

-おわり-