2011/02/17

明日からクラフト展…貴重な「節目」に考える

すでに随所で語られているように、今年はアノ雲仙・普賢岳噴火災害(平成3年)から数えて満20年。いわゆる「節目」の年である。

振り返ってみれば、色んなことがあった。特段、噴火災害に遭遇しなくとも、20年もの間には色々あってしかるべきだが、誰しも往時の印象が強烈なだけに、余計に何らかの「意味合い」を付けたがるのだろう。

「6・3」の大火砕流災害で犠牲になったフランス人火山学者、クラフト夫妻(カティア&モーリス)の足跡をたどる特別企画展がいよいよ明日19日から始まる。雲仙岳災害記念館。3月9日まで。入場無料。

発表によれば、夫妻を主人公にした日仏合作のドキュメンタリードラマ(NHK・BSハイビジョン)も、3月26日(土)午後8時~同9時30分の枠で放送される予定、だとか。

ところで、筆者のもとにも2年ほど前から、色んな立場の方々が「事前調査」(取材)の名目で訪ねて来られている。恐らく、この先も続くだろう。

その中には、まったく予備知識も何もない能天気な人間もいれば、舌を巻くほど当時の事情や人間関係を調べ上げてきている熱心な仕事師もいる。まさに十人十色、千差万別だ。

ただ、聴かれる側としても、もう20年も前の出来事なので、「うろ覚え」や「失念」に陥ってしまっていることも多い。そんな場合に重宝するのはやはり他でもない「新聞記事」だ。

まあ、当時は携帯電話も余り普及しておらず、メール等のIT機器による伝達手段も普及してなかったので、必然的に「活字」や「ビデオ」等に頼るしかなかったのだが、その推移(変遷)の程を考えれば、まさに「今昔の感」である。

今にして思うが、当時から筆者は相当な「へそ曲がり」の「身の程知らず」で、色んな場面で「虚勢」を張っていた。

もっと言うなら、そうでもしないことには、物量を背景とした大手マスメディアに太刀打ち出来なかった、と思う。

アレから「ふた昔」が経った今、確実に言えることは、社会の随所で「情報革命」が着々と進展しているという事実である。

携帯電話は、アノ災害を機に、島原半島エリアでは一気に普及したのではないか。何せアノ頃は、1台当たり10万円前後もしていたが、人々は先を争って仕入れた。

オートフォーカスの「一眼レフカメラ」もしかりである。火砕流独特の「赤い帯」を撮ろうとして、多くのアマチュアカメラマンが生まれたのも、紛れもない史実だ。

アレから20年…。一体何が変わって、何が変わっていないか。「不易流行」の原点に立ち返って、「来し方&行く末」を考える、またとない貴重な機会でもある。