2011/04/28

「万能」の千分の一!?…ひとつ拾えば、ひとつだけ…

最近ではすっかり見かけなくなった家庭用品の一つに「ジュウノウ」がある。五右衛門風呂などで薪を燃やした後にカマドの中に残っている灰を取り除いていた、懐かしの道具だ。

今では電気やガスによって風呂を沸かしている家庭が大半だろうから、その〃存在〃を知っている若者などまずおるまい。分かり易く説明すれば、小型のスコップのような形状をしている。

「ジュウノウ」を漢字で書くと、「十能」だそうだ。玄(げん)侑(ゆう)宋(そう)久(きゅう)さんの芥川賞受賞作『中陰の花』を読んで初めて知った。

「ドゥ・ユー・ノウ・ジュウノウ?」な~んて駄洒落を飛ばしている場合ではないが、便利さの度合いを「万能」の1千分の1としたその奥ゆかしい表現に、筆者は勝手に感心した。

IT全盛のこの時代に、なぜ「十能」なのか?自分でも不思議な思い付きだが、事務所前の市道(音無川沿い)を毎朝掃除している際に、その〃必要性〃を感じたからである。

すっかり葉ザクラとなった桜並木の足元には、眉山から飛んで来た砂塵に交じって、朽ち果てた茶褐色の花茎が〃吹き溜まり〃のような様相を呈している。見た目にも汚い。

28日付の日経新聞の一面コラム『春秋』では、犯罪学の「割れ窓理論」を枕に振って、米二ューヨーク・シティのジュリアー二前市長が唱える「危機管理」と「情報公開」に関する卓説を紹介している。

筆者の知る限り、地下鉄の駅構内や車両を綺麗にすることによって、ジュリアー二市政における「犯罪発生率」は劇的に改善された、という。つまりは、「環境は人を制す」と。

ところが、世の中には意地悪な人種が必ずいるもので、いくら丁寧に掃除しようとも、その行為を嘲笑うかのようにゴミや空き缶を放り投げていく心ない連中が後を絶たない。

誠にもって腹立たしい限りだが、粘り強く対応していくしか方法はない。イエローハット創業者、鍵山秀三郎さんの言葉を借りれば、「ひとつ拾えば、ひとつだけ綺麗になる」だ。

ところで、玄侑さんは福島県在住の僧侶だが、この前NHKのテレビを観ていたら、今回の東日本大震災の「復興構想会議」(政府主催)のメンバーにも加わっておられていた。

番組では、司会役のアナウンサーが進行に行き詰まる程「問題の根深さ」が窺えたが、とにもかくにも前を向いて進んで行くしか「対処の術(すべ)」がないのも事実である。

現地入りした人の話を聞けば、死者の腐臭とともに、おびただしい量の「瓦礫」の山また山…が果てしなく続いているそうだ。

出来得ることなら「万能」の機器でもって一気に!と行きたいところだろうが、一方で色んな問題が介在している現実もある。結局のところは、「十能」の積み重ねしかないのか?