2011/04/08

チャンポンで元気付け…SNA機内誌に幸利屋登場!!

本県名物の「チャンポン」を東日本大震災の被災地の人々に味わってもらおうと、長崎・新地中華街の有志14人が7日、宮城県気仙沼市へ向けて出発したニュースが、今朝の長崎新聞で紹介されていた。

心暖まるいい話である。気仙沼市が中華料理の具材に良く使われるフカヒレの産地であるところから、「美味かチャンポンば食うて、元気ば出してもらおう!」と思い立った、とか。

被災地に出向いての「炊き出し」で言えば、阪神大震災の折に、島原半島産の「ソーメン鍋」(地獄煮)がふるまわれたという記憶がある。確か、俳優の渡哲也率いる石原軍団もその手の趣向で被災者の皆さんを励ましたはずだ。

「チャンポン」とは不思議な食べ物だ。ふだん島原にいる間はそうでもないが、県外出張が何日も続くと、帰ってきたら何はさておいても食べたくなる。

この前の東京出張でもそうだった。もう長崎空港に着く前から「今日の晩飯はチャンポン!」と固く心に決めていた。残念ながら、看板に引かれて飛び込んだ諫早の店はいささか期待外れではあったが…。

ところで、SNA(スカイネットアジア航空)の機内誌『リプラス』の3・4月号が「長崎ちゃんぽん・皿うどん解体新書」という特集を組んでいる。

最近は、出張に便利だったANA(全日空)の回数券が廃止になったため、日程が十分にある場合は宿泊セット、それ以外はSNAのネット割引制度を活用している。

したがって、同機内誌を開く機会も増えたのだが、前々から注目していたのは宮崎県副知事から知事になった河野俊嗣(こうのしゅんじ)さんの随筆。余り宮崎に固執せず「オール九州」の視点で書かれている点が素晴らしい!!

「チャンポン」の話に戻る―。最近は「小浜チャンポン」の名前も随分と知れ渡ってきたようだが、やはり〃筋〃からいけば「長崎」、そして発祥の地「四海楼」であろう。

四海楼チャンポンが誕生したのは明治32年。福建省からやって来た陳順平さんが考案した「支那(しな)饂飩(うどん)」がその原型と言われている。名前の由来は福建語の「吃(しゃ)飯(ぽん)」(ご飯は食べたか?の意味)だそうだ。

同誌ではチャンポン・皿うどんの作り方から栄養効果、お奨め店、果てはトッピング、派生商品に至るまで、実に事細かに調べ上げている。

さて、そこで思わず目が留まったのが「島原チャンポン」の項。「底力」と題されたコーナーに、中組町の「幸利屋」の特製チャンポン(アナゴの白焼き入り!!千二百円)と特製皿うどん(千三百円)が取り上げられているのだ。

最後にまったくの余談だが、我がケーブルテレビ業界では武雄市の「井手チャンポン」の評価がすこぶる高い。まだ食うたこちゃ無かばってん。