小説で読む〃大震災〃…白石一郎&吉村昭が描く
平穏なる春の一日。今日も島原の空はどこまでも青く澄み渡っている。折からの冷え込みのおかげで、桜の花はまだまだ元気だ。
時おり仕事の手を休めては、背後にそびえる眉山の姿を拝む。筆者が島原入りする以前、当社現社長の叔父に当たる清水辰一氏(故人)は『対山語』なるタイトルで、本紙々上で健筆を奮っていた。
氏は早稲田露文科を卒業後、教職に就き、公立高校長などを歴任。退職後は専門学校長を経て、オイの営む新聞業を側面から支えた。
さて、その「眉山」(古くは「前山」)の話だが、東北関東地方を襲った今次大震災を契機として、改めて「島原大変肥後迷惑」と呼ばれた寛政4年(1792)の災害に思いを馳せてみる。
史料によれば、地鳴りを伴う山体崩壊によって都合3回の大津波が発生。対岸の熊本・天草合わせて1万5千人もの犠牲者が出た。まさに我が国災害史上における最大規模の〃惨事〃であった。
直木賞作家、白石一郎さんが『島原大変』という短編(文春文庫)を著したのは、雲仙・普賢岳噴火災害直前の平成元年(1989)だった。
時が時だけに、昨夜改めて読み直してみたのだが、迫真の「描写力」といい、類い稀なる「構成力」といい、ほとほとその力量に敬服した次第。
何より素晴らしいのは、物語の中心に常に「ヒト」が存在していること。作家は、自然の猛威に苛まれながらも、人間本来の生命力の強さ・尊さを、物の見事にあぶり出している。
ところで、今年は大正100年であることを、「大同生命」から頂いたカレンダーで知った。災害を語るに当たっては、大正12年(1923)9月1日に起きた「関東大震災」を外すわけにはいかない。
今でもその日は「防災の日」に指定され、全国各地で大がかりな避難訓練が行われているのは、周知の通りである。
諸説あるが、犠牲者は10万人を数え、帝都・東京や神奈川、千葉など、今でいう〃首都圏〃は壊滅的な被害を受け、国の機能は完全にマヒした。
とりわけ、在日朝鮮人や社会主義者に向けられた、官憲主導による辛酸極まる理不尽な仕打ちは、我が国近代史の恥ずべき一頁であろう。
実は、この大震災も同名で小説化されている。著者は『戦艦武蔵』などで知られる吉村昭さん。個人的には、「阪神大震災」(平成7年)の折に、取材先の神戸市内の書店で求め、帰りの車中で貪り読んだことを覚えている。
文末になってしまったが、今月10日まで、長崎市の県立図書館で、このお二方に司馬遼太郎さんなどを加えた「長崎ゆかりの文学展」が開かれている。入場無料。是非お運びを!
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