大震災からはや一月…これからは「震後」の時代
「千年に一度」と言われる東日本大震災(3月11日)が起きてから、早くも一月(ひとつき)が過ぎようとしている。朝日新聞社のまとめによれば、8日までに確認できた死者は1万2千787人。安否不明者は1万7千307人。
加えて、今なお15万人以上の人々が不自由な避難生活を強いられている現状を想えば、何とも言葉が見つからない。卑近な事例で恐縮だが、愚息の友人宅(仙台市内)は何とか難は免れたものの、15人もの被災親族を抱えてテンヤワンヤの毎日だという。
今次災害をさらに深刻化させている要因は、原子力発電施設の爆発事故と、その事後処理の問題だ。現在、関係機関の総力を挙げて対策が講じられているというが、いま一つ「全体像」がハッキリしないことで、国全体に不安が募る。
そうした雰囲気の中で「全国地方統一選挙」が繰り広げられているわけだが、本来ならもっと世間の耳目が集まるはずの「東京都知事選挙」が今回ばかりはやけに物静かなままだ。
各種報道によれば、「現職有利」の情勢で進んでいるようだが、果たしてどうか?7人の泡沫候補はさておくとして、それぞれに出自が明確な4人を見比べてみると、「原発」に関しては、「維持・推進」を主張する現職と、「見直しの必要性」を唱える3新人との間では、その「政治的スタンス」は大きく異なる。
ただ、同選挙の争点は原発ばかりではない。築地市場の移転をはじめ、大都市としてのトーキョーが抱える様々な政治課題が山積みだ。現職は事もなげに述べる。「東京は心臓であり、頭脳である」と。なるほど、人間観察の大家、佐野眞一さん(ノンフィクション作家)をして『テッペン野郎』と言わしめるだけの自信家ぶりである。
ただ、「脳」も「心臓」もそれ単体では何の用もなさない。その他の「臓器」、「血管」、果ては「爪」、「髪の毛」等々に至るまで、それぞれに機能を果たしてこその「健康体」である。
もっと直截に言う。東京にとって地方とは、はたまた、地方にとって東京とは一体何なのだろう?
その名を「東京電力」というからには、少なくとも「首都圏内」に発電施設があるものとばかり思っていた国民も多かったはずだが、今回の福島の事故(以前には新潟・柏崎刈羽)で、図らずもその「実態」が白日の下にさらされた。
政治学者、御厨(みくりや)貴(たかし)さん(東京大学教授)が、3月24日付の読売新聞文化欄で語っている言葉が興味深い―。「戦後政治はもう通用しない。震災後は今までとは違う『震後政治』の時代だ」。
その上で、同教授は「救国の異端的人材」の出現を期待しているわけだが、果たして現政界に、関東大震災後の後藤新平・帝都復興院総裁に匹敵するような「人物」が隠れているものだろうか?
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