めでたいな「母の日」…出馬OK、でもその前に…
「こどもの日」(5日)に続いて「母の日」(8日)だそうだ。なら「養子の日」があっても良さそうなものだが、そんな話は寡聞(かぶん)にして知らない。
〃語呂合わせ〃で決めるなら、「母の日」は「8月8日」あたりがピッタリくるのだが、そもそも発祥がアメリカということなので、仕方がないか…。
『今日は何の日』(学研)で調べてみた。1907年、一人の女性が社会活動家であった母親の命日に追悼式を催し、参列者に白いカーネーションを配ったことに端を発する、という。
そして、その7年後、「母をたたえる日」として、アメリカの祝日になった、と。戦後、何事につけ〃米追随型〃となった日本においても、早速その〃習慣〃は取り入れられた。
ただし、「日付」は定められず、花の色が白から赤に変わって、5月の第2日曜日が〃その日〃に選ばれた、という次第だ。
余談だが、「父の日」(6月第3日曜日)がアメリカの祝日となったのは、「母の日」の設定から遅れること58年、1972年のことだそうだ。やはり、彼の地でも「母は強し」なのである。
ところで、我が家では、父の名前こそ「強」だが、婿養子の筆者にとっては、毎日が「母の日」のようなものだ。いや、もとい「母の否(非)」とでも言おうか…。
その証拠に、まずもってこちら側の意見が受け入れられることは〃皆無〃である。この前だって、そう!!近く投開票される「島原市議選」が話題となった時のことだ。
「お母さん、僕も55歳になりました。もし、市会議員になれるとすれば、いよいよラストチャンスですよね」と水を向けると、何やら意味深な笑い。
「よかよか。そら、国民として当然の権利。自分がそがん思うとなら、出んね。ばってん、そん前に、こん家ば出て行ってくれんじゃろかい?」。
見事なまでの「母の否」を喰らって反論できなかったのは言うまでもない。そうした意味では、筆者の長男も〃犠牲者〃の一人である。
冷蔵庫から頂き物の明太子を取り出してきて、味見をしながら一言。「お婆ちゃん、こん明太子、おかしくなか?」。「えっ、なんて?おかしかったら、笑えばよかとん!」と、一刀のもとに切って捨てられた。
万事においてこんな調子だから、筆者ども父子は母のことを歴史に名高いスペインの「無敵艦隊」になぞらえて、秘かに「無敵カノ隊」と呼んで畏れている。ちなみに「カノ」とは、母の本名。
勢いついでにもう一つ。「お母さん、亡くなった後、遺産争いで揉めないよう、生前贈与のご準備を!」(筆者)→「ふん、どっちが先もんやら?」(母)。
こんな事まで書いてしまって帰宅後が危ぶまれるが、本当は心の中で感謝しているんですよ、お母さん。いつまでもお元気で!!
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