深夜放送は〃方言〃で…頑張っている東北の各局
どちらかと言うと「雨男」のはずなのに、東京に出かけていた先週末は不思議とそのジンクスから逃れた。それでも梅雨シーズン特有の湿度の高さは都会地でも同じで、ちょっと移動しただけでも、贅肉の隙間を縫うように大粒の汗が流れ落ちていった。
一般社団法人・日本コミュニティ放送協会(JCBA)の定時総会があり、部下とともに出席してきた。会場は浜松町にほど近い「アジュール竹芝」。小涌園と同じ藤田観光系のシティホテルだ。
例年と違うのは、東日本大震災を機に、コミュニティラジオ放送が担う「防災対策」の在り方について、活発な論議が交わされたこと。被災地各局から寄せられた「現状報告」の数々は、まさに傾聴に値するものばかりだった。
そのうちの一つ、福島県いわき市にある「いわき市民コミュニティ放送」の社長さんと担当者の話が特に印象に残った。なぜなら、同社の対応の指針となったのは、阪神大震災当時(1995年)に、実際に被災現場で活躍した神戸市内のミニFM局の動きだったそうだからだ。
こう言ってはなんだが、やはり現実問題として「自然災害」の凄まじさを身を以って体験していない限り、あの「辛さ」「絶望感」などといった心理的負担の度合いは分かろうはずもあるまい。そんな思いで熱心に拝聴させていただいた。
その点で言うと、すでに3年前(調べてみたら本日6月14日が発生日!!)岩手・宮城内陸地震を経験していた「奥州エフエム放送」の現場レポートはさらに強烈であった。
同社の取締役放送局長は、幾分の怒気を込めてこう言い放った。「あのような大混乱の最中でも、火事場泥棒のような卑劣な行為を働いた同業者がいたことは極めて遺憾である」と。具体的な名称こそ明かさなかったが、やはりそういった「不逞の輩」はどこにでもいるんだ!?
被災者向け放送の「要点」についての話は大いに参考になった。曰く「深夜の音楽放送はご法度。避難している人たちを何よりも勇気づけるのは人間の肉声。それも標準語ではなく、方言こそが支えとなる」。
同社は中継基地の流失などでテレビ放送がまったく視聴出来なくなった大船渡と、陸前高田向けに臨時のアンテナを建てて、被災状況や生活情報等に関するニュース番組を今も流し続けている、という。
その他、幾つかの用件を済ませて島原に帰り着いたのは日曜日の深夜。羽田の待合ロビーでは長崎市内の土砂崩れなどのニュースが放映されていたが、大村に降り立った時には月明かりが薄く路面を照らしていた。
仲間内からは「お前が来ると雨になる」と忌み嫌われているのに、本当に今回ばかりはどうしたことだろう?世の中も、人生も、かくの如しか…。
0 Comments:
コメントを投稿
<< Home