ペテンは現実か!?…固執は〃死神〃に通ず
「辞めろ!」「いや辞めない!」―。〃約束〃を反故(ほご)にされた前首相が、居座りを続ける現首相を痛烈に批判した言葉は「ペテン師」だった。
筆者などは「養子」の身であるから「師」や「士」が付く役職(仕事)に、つい憧れてしまうわけだが、それでも「ペテン師」呼ばわりだけは、まっぴらご免こうむりたい。
そもそも「ペテン」という言葉はどういう意味なのか?何故「詐欺師(さぎし)」のように漢字で書かないのだろうか…などと素朴な思いで広辞苑(第六版)を引いてみると、語源は「弓偏に并」と書く中国語(bengzi)が訛(なま)ったものだという。
意味そのものは日本語における「詐欺」と同じだが、カタカナ表記されることで「より怪しさが増す」と言ったら、ちと言い過ぎか…?
話はまったく変わる(言葉遊びだ)が、直木賞作家・津本陽さんが織田信長の生涯を描いた歴史小説に、『下天(げてん)は夢か』という作品がある。
1986年から足掛け3年間にわたって日経新聞に連載され、ビジネスマン層を中心に多くの支持を得た作品だ。後に講談社と角川書店で文庫化。
混迷を極めた戦国の世で、信長の名を一躍有名ならしめたものは、今川義元率いる大軍勢を〃奇襲〃攻撃で打ち破った「桶狭間の戦い」(1560年)。
そしてまた、天下を取った信長が、明智光秀の〃謀反〃に遭って非業の死を遂げたのは「本能寺の変」(1582年)だった。
してみると、幕末の坂本龍馬と並んで日本人一般が最も好む歴史上の英雄として位置付けられる信長の人生は、〃奇襲〃に始まり〃謀反〃で幕を閉じていることになる。
別な表現をとるなら、今昔を問わず、政治の世界では「ペテンの世渡り」こそが帰趨(きすう)を制してきた、言えるのではないか?つまり、「ペテン」とは紛うことなき「現実」(政治上の常套(じょうとう)手段=いつもの手)なのである。
少し前の週刊誌上で、政治評論家の三宅久之さんと田崎史郎さんが「新旧首相対決」の構図を面白おかしく論じていたが、誰が見ても前任者の〃間抜け〃ぶりばかりが際立った三文芝居だった。
ただ一方で、「策士、策に溺れる」という昔からの〃金言〃があることも忘れてはなるまい。いかに言を左右して首相の椅子に居座ろうとも、いずれか〃答え〃は出る。
ハッキリ言って、現首相は、前首相が指摘したように「ペテン師」である。それは原子力発電政策について「所信表明」で述べた内容と、その後の「変節ぶり」を見比べれば、火を見るより明らかだ。
それでも総理の座から恋々として離れようとしない。その様子を見て、誰かが巧いことを言っていた。「余りにしがみつこうとすれば、いずれ死(し)神(がみ)が付きますよ」と。
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