2011/10/05

元気だった梅ちゃん…『週刊朝日』に渾身レポート

〈梅さん〉と聞いて、すかさず〈ヨシコ先生〉の名前が出てくるようであれば、あなたは相当な『ど根性ガエル』(吉沢やすみ作・アニメ漫画)の〃通〃だと言える。

では、普賢岳災害時の〈梅ちゃん〉と言えば、一体誰だろう?ほかでもない、フリーカメラマンの梅崎良さんが〃その人〃である。

前置きが長くなってしまったが、〈梅ちゃん〉による『週刊朝日』の短期集中連載が10月7日号からスタートした。タイトルは「天国と地獄の交差点」(1999-2011)。日本一の歓楽街として知られる新宿歌舞伎町(コマ劇場前)がその主舞台だ。

〈梅ちゃん〉は今から20年ほど前、火砕流&土石流が荒れ狂っていた島原の地に、薄汚れたリュックを背負ってフラっと現れた。手には愛用のニコン製カメラ。

筆者も取材先で何度か会っているうち自然と親しくなり、一緒によく酒も飲んだ。聞けば、同じ九州人。当時は病身の母親を古里の久留米市に独り残しているので時々帰って来ている、とのことだった。

出会った端は、写真の腕前がどの程度のものか判らなかったが、当時大流行だった写真週刊誌にもかなりの頻度で取り上げられていたので、いっぱしの「プロカメラマン」であったことは間違いない。

ある時、〈梅ちゃん〉が関川夏央さん(作家)とも親しいという編集者を連れて島原にやって来た。出版(写真集)の話だった。

刷り上がった本の題名は『普賢さんは怒っちょらす』。写真の出来栄えもさることながら、自然への畏敬の念を決して忘れない〈梅ちゃん〉らしい作品だった。

噴火活動の終息とともに、〈梅ちゃん〉は忽然と姿を消した。その後しばらくしてから、チベットで撮ったという仏像関係の写真を幾枚か送ってくれた。以来、音信不通である。

今回、〈梅ちゃん〉は文も書いている。これがなかなか巧い。カメラマンで文章家と言えば、先年亡くなった砂守勝巳さん(土門拳賞)のことを思い出すが、〈梅ちゃん〉ももっとその〃路線〃を目指せばよい、と思う。

一度だけ、〈梅ちゃん〉と歌舞伎町の中でも最も危ないと言われる「二丁目」の酒場に行ったことがある。ママさんは昔からの知り合いのようで、特段気後れすることもなくバーボンのグラスを重ねていた。

そのうち、常連客のフリーカメラマン連中が次々に入ってきた。興に乗った一人が店備え付けのムチを手に取り、突然カウンターやテーブルの上を叩き始めた。

その夜は、かなりの〃量〃をいただいていたが、「ここで酔ったら大変なことになる…」と、自己防衛本能を働かせて静かに退散したことを覚えている。

〈梅ちゃん〉はあの頃のままだろうか…。