2011/10/17

名をなした〃同級生〃…半世紀ぶりに紙面で再会

月刊文藝春秋のグラビアに『同級生交歓』という名物コーナーがあり、毎号楽しみにして読ませていただいている。登場しているのは、たいていその土地を代表する〃名門校〃でともに学んだ〃俊才たち〃で、現在の肩書きもいずれ劣らぬ成功者ぞろいである。

人生において「功なり名を遂げる」には、やはりそれなりの〃学校〃を出てないことにはなぁ…などと、つい愚痴の一つもこぼしたくなるが、今や立派に名をなした、かつての〃同級生〃の写真と名前を新聞で見つけて大いに興奮してしまった。

掲載されていたのは朝日新聞の16日付紙面。今月2日に東京・築地の浜離宮ホールで開かれた同社主催の「体と塩を考えるシンポジウム~高血圧予防のヒントは塩分だった!」という健康教育企画の特集記事だった。

何の気なしにページをめくっていたところに、懐かしい〃名前〃が飛び込んできたのだ。その名は土橋(つちはし)卓也(たくや)さん。国立病院機構九州医療センター内科医長の肩書きと並んで、日本高血圧学会の高血圧治療ガイドライン(2009年)の作成委員を務めたことなどが紹介されていた。

記事を読むと、土橋さんはこの難しそうなシンポジウムで基調講演をこなし、テレビ番組でよく見かける料理研究家の浜内(はまうち)千波(ちなみ)さんらとともにパネルディスカッションでも、専門家の立場から「減塩ライフ」の大切さについてアドバイスを送っている。

土橋さんは小学1年修了時まで筆者の古里(小浜町の片田舎)に住んでいた。お父上は中学校の英語教諭で、女子ソフトボールを〃県下一〃にまで導いた名伯楽でもあった。お母上は保育園の先生だったように記憶している。

その頃のアダ名は「ターちゃん」とか言っていたが、とにかく頭が良かった。今でも良く覚えているが、ビー玉遊びの合い間に大相撲の星取表を作って、お父上に報告することがターちゃんの日課であった。

その頃の横綱は大鵬、柏戸、佐田の山。大関にはもみあげの長い北葉山らがいた。幼心にターちゃんの〃実力〃を垣間見たのは、漢字でさらさらと「大鵬」を書いてのけたこと。

島原市内に転校してからは、江東寺の「ねはん像」の絵葉書を一度もらったくらいで、以降はすっかり音信不通の状態だったが、高校進学後にその名を再び目にすることに。

ターちゃんの進学先は島原高校。中地区、県下一斉という模試の度に、その名は必ずトップランク。3桁、4桁の我が身からすればまさに仰ぎ見る〃天上の星〃であった。

あれから半世紀が過ぎ、立場の違いは歴然としているものの〃同級生〃には違いない。余談だが、現職の総理だって年齢こそ違え卒業年は一緒だから、無理すれば〃同級生〃と言えないこともない?まさか!