2011/11/08

西岡先生大いに笑う…思い出す25年前の〃珍事〃

故・西岡武夫参議院議長(5日死去)が一般的に醸し出すイメージは、いつも口を「への字」に曲げ、両の手を合わせて、祖国「日本」や古里「長崎県」の行く末を案じる〃憂国の士〃であった。

昨7日、長崎市内の斎場で営まれた同氏の葬儀・告別式に参列してきた。8日付の新聞報道を見ると、約2千人が会場に訪れて別れを惜しんだ、という。

今さら書いても他紙の焼き直しに過ぎないが、同氏は昭和38年、27歳の若さで衆議院初当選。以来、半世紀近くにわたって中央政界で活躍された。

筆者個人としては格別に親しかったわけではないが、「新聞界」(長崎新聞前身の長崎民友オーナー)の出身だっただけに、本紙社長らとは先代の昔からお付き合いがあったようだ。

まあ、そんなこんなの関係で、宴席等でお会いした時には、いつも気軽にお声を掛けていただいていた。ただ、失礼を省みずに言うなら、決して愛嬌の良い先生ではなかった。いつも、何かしら近寄り難い威厳を漂わせておられた。

そんな先生が一度だけ、筆者の目の前で〃呵々大笑〃されたことがある。忘れもしない、筆者披露宴の祝いの席でのことだ。

今を遡ること25年前。海望荘。新郎新婦を挟んで、ヒナ段には西岡、倉成(秘書)、久間の旧長崎2区選出の代議士お三方に陣取っていただいていた。

ご来賓のご挨拶があるごとに、式場ディレクターである海望荘のイズミさんが「立て」だの「座れ」だの〃命令〃を下される。

経験者ならよくお分かりのことだと思うが、そうした時の新郎新婦は、まるで〃操り人形〃のようなものである。

そして迎えた何人目かのご挨拶修了の際に、筆者は椅子が引いてあるにもかかわらず、思いっ切り着席してしまった。

結果は、見事なまでの大転倒!一段低い席にある会場の皆さんは気付いていないようだったが、傍らに居た西岡先生が笑うこと&笑うこと!後にも先にも、あんなに喜んだ先生は見たことがない。

葬儀会場には開式30分ほど前に到着したのだが、すでに多くの弔問客で溢れていた。筆者は案内されるままに、階段脇のサブ会場に足を運んだ。

そしてモニター映像を見ながら、これまでの西岡先生との〃思い出〃を色々と手繰り寄せていたが、やはり最初に浮かんだのは自身の披露宴での〃珍事〃であった。

葬儀が滞りなく済んだ後で、喪主の永子(ひさこ)夫人が遺族を代表してご挨拶をされた。その中で、前日、通夜の後に今上陛下からお言葉を賜ったことを報告された。

不謹慎ながら、昭和24年6月号の文藝春秋誌上に掲載された『(昭和)天皇陛下大いに笑う』という特集記事のタイトルを思い出していた。合掌。