モチーフは心象風景…朝焼けに見た〃不死鳥〃の姿
筆者には、突然、変なことを思い出す性癖が昔からある。今朝、散歩をしながら「あれっ!モロッコという国名の由来は確か『日が沈む国』だったっけ…」などと気懸かりになったので調べてみたら、果たして〃正解〃であった。
まあ、大西洋に臨む西アフリカの国であるから、すんなり合点がいった次第だが、日本の場合は、聖徳太子の昔から「日出ずる国」だったよなぁ~。
そんなこんなを思い浮かべながら、猛島の海岸沿いを歩いていたら、対岸の熊本側の山並みのシルエット上に、竜巻のような雲が湧き上がっていた。
まだ夜も明けきらぬ6時過ぎの光景である。踵を返して西の空を眺めると、煌々たる光を放つ明星がクッキリと見てとれた。
潮騒の音を聞きながらそのまま歩を進めていくと、一筋の竜巻状の雲は次第にほどけ結びながら、今まさに飛び立たんばかりの「不死鳥」の姿へと変身していった。
慌ててポケットからデジカメを取り出し撮影したのだが、どうにも上手くいかない。でも、とてもこの世のものとは思えない神々しい美しさであった。
この前、何かの会議の折に熊本の人と話す機会があった。その人はいきなりこう語りかけてきた。「島原方面は夕日のキレカですね」と。
一瞬、ナニ?それは小浜のことでしょうと思ったが、言われてみたら確かにそうである。我々は通常、朝日の出る場所として熊本サイドを見ているが、地理的に考えればそれこそ〃真逆〃の立場である。
こうした事柄に関しては、勝ちとか・負けとかいった問題ではない。我々島原の人間は有明海の向こうから昇ってくる太陽や月を美しいものと思い、熊本の人々は島原側の夕焼けの景色を楽しむ。
さて、あの普賢岳の噴火再開から丸21年が経過する。それが「まだ」なのか、「もう」なのかについては、同じ個人の中でも受け止め方は様々であろう。
ただ、この間に、あれほど悲惨な状態だった被災地の復旧・復興が見事に進んだことは歴然たる事実である。と同時に、多くの命が消滅し、一方でまた、新たな生命も続々と誕生している。
本紙上ですでに紹介があったように、災害当時、深江町消防団長だったウエディング石川会長の石川嘉則さんがこのほど、『ふげんさん』というタイトルの紙芝居を上梓された。
作品のモチーフとなっているのは多く、命がけで古里を守ろうとした、あの当時の「心象風景」だという。カメラが捉えた「記録」はもちろん大事だが、人間の「記憶」も断じて捨ておけない。そう思わせる〃力作〃だ。
同会長のお話を聞きながら、1999年の大晦日の夕刻、今は亡き西川清人さんと、KTNの槌田記者の3人で眺めた普賢岳の夕焼けのことを、ふと思い出していた。
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