2011/11/26

「手」にまつわる独言…談志師匠のご冥福を祈る!

選挙で勝つ秘訣は「(候補者本人が)遊説中に何人の有権者と握手したか、その数による」などといったまことしやかな説があるが、本当だろうか?

真偽の程はさておくとして、高田勇さん(元長崎県知事)くらい美しい手の持ち主を知らない。今回、田代則春先生(弁護士)の「胸像建立祝賀会」の会場で握手をしてみて、改めてそう感じた。

白くて柔らかい。まるでマシュマロのよう。特段、その方面の趣味(?)は持ち併せていないが、これなら男女を問わず票を集められたはずだ。

身体髪膚(しんたいはっぷ)、どれを取っても甲乙付け難い各種器官のおかげで、我々は日々の暮らしを営んでいるわけだが、中でも「手」は一番身近な存在であろう。

「はたらけど はたらけど猶わが生活(くらし)楽にならざり ぢつと手を見る」(一握の砂)。歌人、石川啄木は勤労意欲が極めて乏しかったそうだが、自分の手を凝視して、はて何を感じたのだろう…。

いささかの皮肉を込めて言えば、啄木は優れた歌詠みではあったが、誰もが感心するような熱心な「働き手」ではなかった、ということだ。

事のついでに「手」にまつわる諺にはどんなものがあるのだろう?手元の『故事ことわざ辞典』(学研)を引いてみたら、知らない用例があるわ!あるわ!

「手が空けば口が開く」(=頼りないその日暮らし)「手加減の独り舌打ち」(=自画自賛、手前味噌)「手功より目功」(=手先の熟練もだが、物を見る目がもっと大事)

「手酌五合、髱(たぼ)一升」(=若い女性と一緒だと酒がすすむ)「手出し十層倍」(喧嘩は先に手を出したら負け)など。

また、皆様も良くご存じのことだと思うが、もともと「手」にはある種の〃治癒力〃が備わっている、とも言われている。

その証拠に、病気やケガの場合は「手当て」と言う。「手かざし」で何でも治してしまうという、とても信じ難いエスパーのような御仁も時々いる。

ただし、この「手当て」という言い方も、バカ丁寧に頭に「お」を付けたら、ジジイと愛人のような関係になってしまうから、用心めされたし!

ところで、落語界きっての〃名人肌〃として知られた立川談志師匠が数日前に逝去された。島原方面にも護国寺住職の岩永泰賢さんらの招きで幾度もお運び頂いた方だ。

いつぞやは、高座の最中にカメラのフラッシュを焚いて、えらく叱られた。今となっては懐かしい思い出となってしまった。

その談志師匠が若かりし頃に吹き込んだ古典落語のCDを、FMしまばらの小にょろ君から聞かせてもらったことがある。演題は『付き馬』。

マクラの部分にこういうくだりがある。「やり手と言っても、取るばかり」(笑)。ご冥福を祈る!