14日は「忠臣蔵」の日…落語は人間の〃業〃を肯定
12月は言わずと知れた「師走」であり、普段は泰然自若として落ち着いている「師匠」筋でさえ忙しさの余り「走り回る」ことからその名が付いた、という〃俗説〃がある。
語源については、本当のところは良く分からないが、この場合の「師」とは「お坊さん」を指すのだという。さて、その多忙を極める僧侶の一人、護国寺住職・岩永泰賢さんの講演を13日早朝に聞いた。
島原準倫理法人会(橋本卓也会長)が毎火曜日午前6時から南風楼で開催している「モーニングセミナー」の11人目の講師として招かれたものだ。演題は「歴史と伝統に学ぶ賢者足り得るか?」。
まず、個人的な感想から述べると、いつもながらに良いお話であった。ただ一方で、我々聞く側の「問題点」を実感させられたことも事実である。筆者などさして若くもないのに、余りにも自国や古里の歴史を知らなさ過ぎるのである。
そんな事などとっくにご承知の「師」は、ドイツの鉄血宰相ビスマルクの有名な言葉―「賢者は歴史に学び、愚者は体験に学ぶ」を持ち出し、やんわりとジャブ。その上で、時節柄に合わせて「忠臣蔵」を題材とされた。
時あたかも12月14日は、大石内蔵助率いる赤穂浪士(四十七士)が主君・浅野内匠頭の仇敵・吉良上野介を討ち取った日だ。俗に言う「討ち入り」。元禄15年(1702)のこと。
「師」は、志士の1人、大高源吾の存在を枕に、歌舞伎や芸能の世界でいまだに生き生きと描かれ続けている「日本人の心の在りよう」(義理・人情)について、時にユーモアを交えながら、熱く語った。
ただ、それはそれで随分と感銘も受けたが、先般亡くなった立川談志さんとの間で親密に交わされた、生前の微笑ましいやり取りの数々はさらに味わい深く、面白かった。
談志師匠の落語の定義付けは「人間の〃業〃を肯定するもの」。忠臣蔵を題材にするなら、仇討を果たして後に世間から持て囃された四十七士以外の浪士(約250人)の生き方についても、一定の理解を示すものだ、という。
拝聴後「なるほど、そういう見方もあったか!」と思わずヒザを叩いたわけだが、と同時に、慶應義塾の創始者、福澤諭吉翁が「赤穂義士は間違っている!」という〃自説〃を持ち出して大いに論議を巻き起こしたというエピソードを思い出した。
今年のNHKテレビテキスト(7月号・齊藤孝著)で取り上げられている。福澤翁によれば「討ち入りは単なる私的制裁(リンチ)に過ぎない。それよりは国(江戸幕府)の法の裁きに従うべきだ」と。
筆者のようなボンクラ頭ではまったく判断もつかないが、この件については、談志師匠と齊藤教授(明治大学・今年9月に来島)に語り合ってもらったら、より面白かったろうに、とも思う。
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