来年は東北に行くぞ!…「物書き」の端くれとして
年末のカウントダウンと合わせて本欄の1000回目へ向けてのカウントダウンも始まった。ただし、これは筆者が勝手に騒いでいるだけで、世の中の動きとは何の関係もない。したがって、今日も勝手に書かせていただく。
さて、時節柄この1年を振り返ってみるが、太平洋岸の東北&関東地方を襲った「3・11」の大震災は忘れようにも忘れられないショッキングな記憶として今も鮮明に残る。
「阪神大震災」(1995年1月17日)が起きたのは明け方の午前5時46分。これに対して「東日本大震災」は真昼の午後2時46分だった。
誰が言ったか忘れてしまったが、ともに発生時刻が「46分」だったため、その時間帯は「よろめき(・・・・)タイムだった」と。
聞いた途端、趣味の悪い冗談だと思ったが、災害時のデマ(流言飛語)の類いはこうして生まれるのか…と、はたと考えさせられたりもした。
あれから10カ月近くが経ち、報道のありようも随分と変わってきているようだ。規模は違うにせよ、同じ「自然災害」を経験した立場からすると、何かしら割り切れぬ思いが拭い去れない。
それはある意味、伝えることを生業(なりわい)としている「自分自身」に向けての弾劾でもある。「なぜ被災地に足を運ばないのか?阪神の時は行ったのに…」。
確かに阪神と比べると、その距離は格段に遠い。それでも、東京までは度々出張しているではないか?そこから2時間もあれば辿り着けるのに…。
言い訳がましいが、これまでにテレビも新聞も、一応取材スタッフの派遣はしている。FMのスタッフも年明け早々には現地(宮城県)に赴くことになっている。
ただ、自分の眼で現場を見ないで、何をどう書こうというのだ。被災地の空気を吸ってこい!現地の人々の声を直接聞いてこい!
今、年の瀬を迎えるに当たって、そうした「内なる声」が自身の脳裏にムクムクと湧き上がってきているのがよく分かる。
先般、講演を聴いた青山繁晴さん(独立総合研究所代表)は、幾度となく爆発した原子炉(東電)の中に入り込んで、丹念に取材を重ねてきた、という。
こと原発の問題に限らず、青山さんは「本当の情報」を知っている、筋金入りの、数少ない国際ジャーナリストの一人である。なぜ、同じ人間なのに、自分にはそれが出来ないのだろう?
もちろん、「能力」(胆力)の違いはいかんともし難いが、せめては遠目からでもいいから、その全貌を拝まないことには話にも何にもならないではないか。
ヨシ!来年は絶対現地に行く。あの混乱の最中で〃壁新聞〃を作って報じた「石巻日々(ひび)新聞」の社長や記者の人たちにも是非会ってこよう。それがせめてもの「物書き」としての使命だ。
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