忘れないよ!宝屋さん…古瀬収入役も大好きだった
島原市役所にはヤボ用も含め足繁く通っているのだが、昨日の朝は3階の記者室から外を眺めながら、フトある〃重大な事実〃に気付いて愕然とした。
アノ「宝屋まんじゅう店」がいつの間にか畳んでおられていたのである。遠目に貼り紙がしてあったので、すぐさま駆け付けた。
それによると、閉店日は昨年末の22日。開店以来42年間に及ぶ、お客様への感謝の思いが切なく綴られていた。
経営者は、確か「水江さん」とおっしゃられたと思うが、いつもかなりの早朝から店を開け、常連客も沢山いた。
その筆頭格は、何と言っても、鐘ヶ江市政時代に総務課長や収入役を務められた古瀬八郎さん(故人)だろう。これもまた、同市の古い職員なら誰もが知っている〃事実〃である。
とにかく、昼のメニューは宝屋のトリメシとダンゴが連日の定番だった。いつだったか「飽きませんか?」と聞いたら、「美味かんば!」と返された。
話は脱線するが、古瀬さんが遺した〃名言〃が幾つかある。いま口に出しても思わずニンマリしてしまう〃不朽の名作〃である。故人のご冥福を祈りつつ、改めてご披露しよう。
〈仕事は(しごちゃ)ボチボチ、仁義は(じんぎゃ)コモコモ、葬式は(そーしきゃ)悲しゅ〉―。どうです、絶妙の皮肉とユーモアが効いているでしょ!
宝屋さんの話に戻る。実は弊紙も今から13年前の「創刊百周年」の折に、心のこもったプレゼントを頂いたことがある。
それは特製の「巨大まんじゅう」。直径30センチほどはあったろうか…。とにかくデカくて、ビックリしたことを今でも良く覚えている。
筆者もそうだが、母や家人も宝屋さんの閉店を心から惜しんでいる。昼飯で帰宅した折にその旨を告げたら、母はすでにその情報を知っていたようで、「そがんげなね。寂しかー」と柄にもなく眉を曇らせていた。
ところで、今から42年前と言うと、世の中が大阪の〃万博景気〃で湧いていた、昭和45年(1970)頃のことだ。
その当時の市役所周辺の建物の並びがどうなっていたのか知る由もないが、働き者のご夫婦が〃青雲の志〃のもとに店を構え、日毎、汗を流されていたことだけは想像に難くない。
時代は否応なく変わる。それでも、人がそこで生計を営み、地域とのつながりを大切にしてきた「証し」だけは何としても残していかなければならない。
それは「モノ」だけにとどまらない。宝屋さんが提供し続けてきたマンジュウ、トリメシ、ダンゴ、ギョウザ…の数々。その味は終生忘れ得ぬ人々の「記憶」として、これからも長く語り継がれていくことだろう。
そう、あの味はまさに、島原の「宝物」の1つであった。
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