2012/01/16

未来ではなく将来…勉強になるよ『番神さま』

16日は護国寺・三十番神の大祭日だった。あいにく今年は他の用件が重なって参拝出来なかったが、移動の車中から眺めていたら、雨にも係わらず多くの〃善男善女〃がお運びになられていたようだ。

正月、並びに盆明けの16日は「藪入り」と言って、商家に住み込みで働いている奉公人にとっては、待望久しい「給金付き休日」とされてきたが、ご主人様(筆者にとっては家人の母)の財布の紐は今年も固いようである。

仕方がないのでポケットの小銭をまさぐって、大枚120円を自販機に投じて缶入りブラックコーヒーを飲んだ。ほろ苦い人生の味がした。

まあ、そんなことはどうでもよいのだが、年が明けてから半月もすれば、段々と新年の意気込みも薄れてくるものである。

だからこそ余計に、三十番神様のご祈とうは有難く、弊社も明後日には社員全員で出向いて心中に巣食う〃悪霊〃を追い払ってもらうことにしている。

先日、何かの折に、同寺の岩永泰賢住職から、ご自身が編まれた1冊の漫画本を頂戴した。ただし、「マンガ」と言って侮るなかれ!日本史の成り立ちを知る上で、格好の〃教本〃として仕上がっているのでビックリした。

タイトルは『番神(ばんじん)さま』(~日々よみがえる日本の神々~)。吾妻町在住の柴田連(むらじ)さんが作画を担当。実際の発行年月日は昨年8月の大祭日となっているが、半年弱の遅れなど一向に気にも留まらない。

岩永さんが易しく「はじめに」と題して綴っている巻頭言の中に、ハッ!とさせられる行(くだり)がある。少し長くなるが引用させていただく。

〈ほとんどの国民はこの危機(自然災害や政治混の迷や経済不況…など)を察知していながら、思考停止状態に甘んじ、互助の精神を忘れ、未来への義務と責任を放棄しているようにしか思えません〉

〈本来、僧侶や宗教家が毅然として、この困難に立ち向かっていかなければならないのに、私は何をしているのだと、自省を込めて、本書の編集、制作に取り組みました〉―。

と、ここまで読み進んだ所で、まさしく〃偶然〃としか言いようがないが、今朝読んだ産経新聞一面に掲載してあった、京都大学の佐伯啓思教授の寄稿論文と見事なまでにリンクしてしまった。

もちろん、私の頭の中での話なのだが、同教授が指摘しているのは、漠然とした「未来」ではなく、将(まさ)に来たらんとする「将来」という時間観念の大切さなのである。

「想定外」「危機管理の限界」…。こうした言い訳めいた表現を我々は、昨年来、幾度耳目にしたろうか?災いも「将に来たらん」と思えば、大難は小難に、小難は無難となりますよね、ご住職?

[教訓]治に居て乱を忘れず。