2012/03/01

泣けることの幸せ…県民の共感を得る収束を!!

たまたま事のついでに傍聴した県議会一般質問(27日)での加藤寛治議員(島原市選出)の発言が江戸町界隈で大きな論議を巻き起こしていることを、今朝(29日)の新聞で知った。正直、驚いている。筆者が現場で聞き及ぶ限り、特段の〃違和感〃は感じなかったからだ。

走り書きのメモを頼りに記憶をひも解いてみるが、「新知事誕生2年、県議改選後1年という〃節目〃に当たって」―という前置きの上で語られた〃私見〃に対し、異常なまでの過敏な反応ぶりではないか。

えてして人間は〃痛い所〃を突かれると、ムキになって反論するもの。これはひとり政界に限らず、どの分野でも言えることだ。願わくばその無尽のエネルギーを権力闘争にのみ浪費しないでいただきたい。これ等しく県民の望んでいるところではなかろうか。

ところで、昨日(28日)は県議会でそんな〃混乱劇〃が起きていることなどつゆ知らず、前々から予定していた感動教育家、高光りょうすけ氏の講演(対象・南串中3年生)を聴くために、雲仙市のハマユリックスホールを訪ねた。

1月末の島原準倫理法人会モーニングセミナーで聴いた時と同様、相変わらずパワフルな講演であった。「今度は泣くものか!」と意を決して臨んだはずだったが、結果から言うと、また泣かされてしまった。

7割方は同じ構成なのにどうして同じ轍を踏んでしまうのだろうと、繰り返し考えてみたが、よく分からない。ただ、「泣くことのできる幸せ」を改めて噛みしめている。

多くの読者の皆さんは「何ば言いよーっとか?悲しかけん、泣くとやろもん」と思われるだろうが、人間はトコトンまで追い詰められると、涙の一滴まで枯れ果ててしまうものだ。

筆者には、その苦い経験があるから良く分かる。そう、泣けるうちはまだいい。だから、悲しい涙だろうが、悔しい涙だろうが、大いに泣けばいい!

ただ、政治家に涙は禁物だ。信念に基づいて、時には非情に徹して、国家・国民、地域・住民の「安心&安全」を守り抜くのが最大の使命であり、存在価値である。そのためには、目先の損得や沽券にこだわったパワーゲームに一喜一憂している暇なんかないはずだ。

今回の県議会の混乱劇については、この先どう展開していくのか門外漢の身にはさっぱり分かりかねるが、〃感動〃とまではいかないまでも、少なくとも大多数の県民の〃共感〃が得られるような矛の収め方を望む。スピーディに!!