孤独な落伍者の夢想…異動のシーズンに思う…
休日返上で県外に出張して帰ってみたら、新聞紙上には各方面の「人事異動」の記事が掲載されている。
「へぇーそうなのか」「お世話になったあの人も、もう定年を迎えたんだ」…などと感慨に耽りつつ〃来し方〃に思いを馳せる。
出世した人、しない人。世の中には〃勝者〃の分だけ〃敗者〃もいる。いや、端(はな)からそんな事柄には興味を抱かない達観した人物もいないではない。
ただ、世間一般で言えば、「人事」ほど注目を集める〃人間ドラマ〃はあるまい。そこには人間の業(ごう)とも言うべき、色んな感情や揣摩臆測(しまおくそく)が複雑に絡み合う。
年齢面で言うと、昭和30年生まれの筆者の世代は満の56歳だから、勤め人の序列でいくと、ほぼトップの位置取りである。先生の世界なら校長、県の職員なら部長・局長などといった具合に―。
今となっては何の未練も羨望もないのだが、たまたま「オイも先生になっとったら、今頃校長…。どの辺の学校やろかい?」などと食卓で軽口を呟いたら、周囲は「フン」とそっぽを向いた。
それでもめげずに「○○氏(旧姓)□□高校校長に!といった見出しの付くとやろかい?」と食い下がってみたが、「アホ」の一言で却下された。
だいたい、ここに居ること自体が不思議と思うから、率直に素直な思いをぶつけただけなのに、いくら何でも「アホ」はないやろ!?
過ぎ去った時間を取り戻せないことくらいは、「アホ」の身だって分かるわい。そう、人生に「イフ」なんて無いのだから…。
人間はある時点で「選択」を迫られる。気障な言い方をすれば、それが人生における「分水嶺」だ。
ただ、「もしもあの時」といったシチュエーションは、誰にだってあるはずだ。それくらいの〃想像力〃はいくら膨らませても別段、罪にもなるまい。
嗚呼、それなのに我が家族と言ったら…。テーブルの向こう側では、別の選択をしていれば生まれてくるはずもない息子までが感に堪えないような表情を浮かべている。
仕方がない。それなら自分だけ独りで「夢の世界」を楽しむだけだ。
〈もし、あの時、別の学校に行って、違う職業に就いていれば、気立てが良くて、やさしいフィアンセとも遭遇し、きっと優秀な子宝にも恵まれていたはず〉
〈出来たら、可愛らしい女の子がいいな。年頃になったら、まるで恋人のように連れだって歩く。時には瀟洒な酒場でワインでも傾けながら〉
と、ここまで書いてきて、自分は何と大人げないことを…とハッと我に帰った。詮なきことを求めるな!今を、現実を、しっかり生き抜くことだ!ヨーシ!!
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