2012/03/24

梶原裕太君の答辞…天を恨まず、運命に耐え…

読者の皆様は覚えておいでだろうか?今からほぼ1年前の3月22日、宮城県気仙沼市立・階上(はしかみ)中学校の卒業生代表、梶原裕太君が涙ながらに読んだ答辞の内容を。先般参加した防災セミナーの会場で、その全文を山口大学大学院教授の三浦房紀先生から教わった。ネットでも検索できるが、改めて本紙上でも紹介したい。母校を巣立っていく卒業生の皆さん、ぜひ読んで下さい!

本日は、未曾有の大震災の傷も癒えない最中、私たちの為に、卒業式を挙行していただき、ありがとうございます。

ちょうど10日前の3月12日、春を思わせる暖かな日でした。私たちは、そのキラキラ光る日差しの中を、希望に胸を膨らませ、通いなれたこの学舎を、57名揃って巣立つ筈でした。

前日の11日。一足早く渡された、思い出のたくさん詰まったアルバムを開き、10数時間後の卒業式に思いを馳せた友もいたことでしょう。「東日本大震災」と名づけられる、天変地異が起こることも知らずに…。

階上中学校といえば「防災教育」といわれ、内外から高く評価され、十分な訓練もしていた私たちでした。しかし、自然の脅威の前には、人間の力はあまりにも無力で、私たちから大切なものを、容赦なく奪っていきました。

天が与えた試練というには、むごすぎるものでした。辛くて、悔しくてたまりません。時計の針は、14時46分を指したままです。でも、確実に時間は流れています。

生かされた者として、顔を上げ、常に思いやりの心を持ち、強く、正しく、たくましく生きていかねばなりません。

命の重さを知るには、大き過ぎる代償でした。しかし、苦境にあっても、天を恨まず、運命に耐え、助け合って生きていく事が、これからの私たちの使命です。

私たちは今、それぞれ新しい人生の一歩を踏み出します。どこにいても、何をしていようとも、この地で仲間と共有した時を忘れず、宝物として生きていきます。

後輩の皆さん、階上中学校で過ごす「あたりまえ」に見える日々や友達が、いかに貴重かを考え、いとおしんで過ごして下さい。

先生方、親身のご指導、ありがとうございました。先生方がいかにわたくしたちを思って下さっていたか、今になってよく分かります。

地域の皆さん、これまで様々なご支援をいただき、ありがとうございました。これからもよろしくお願い致します。

お父さん、お母さん、家族の皆さん、これから私たちが歩んでいく姿を見守っていて下さい。必ず、よき社会人になります。

私たちは、この階上中学校の生徒でいられたことを誇りに思います。最後に、ありがとうございました。