勝敗は勝敗として…生き抜いていくことが大事
【訂正】昨報で日本男子柔道が「銅メダル1個」とあったのは「銀、銅メダル各2個」の間違いでした。お詫びして訂正します。
まあ、オリンピックの成績に関しては随所で紹介されているので、そちらをご覧いただくとしても、時差(8時間)のせいとはいえ、どうにも今回、活字メディアは分が悪い。
テレビはその特性を活かして深夜帯にもかかわらず〝生放送〟で気を吐いているようだが、朝刊1面で扱われている写真入りの大判記事を眺めてみても、いかんせん〝間抜けな感〟が否めない。
インターネットの普及で「結果」がすでに知れ渡っているので、おっつけそうならざるを得ないのだろうが…。いずれにしても、もう〝後戻り〟は効かない。時代は確かに変わってしまったのだ!!
そんな風なことを考えながら、ほぼ変わりない日常を過ごしているのだが、いつしか気付かないままに我が社の玄関先の花壇や植込みが悲惨な状況へと化していた。原因は他でもない〝猛暑〟のせいだ。
人間と違って植物は口をきかない。さすがに昨夕は〝気の毒〟になって…と言うより、〝自責の念〟にかられて水遣りや花苗の植え換えに汗を流した。
すると、人間なんていたって現金なもので、今度はその復活ぶりに自然と目が向くようになる。今朝ほどは目覚ましが鳴るより早く飛び起きて、いそいそと会社へ向かった次第。
でかした!プランターの花々は一夜明けてさらに元気を増し、木々の勢いも梅雨明けの状態まで戻っているようである。
最近は運動不足なのでとみに思うのだが、やはり人間は健康である限り、こまめに動くべきだ。暑いからと言って部屋に閉じこもっているようでは、精神的にも滅入ってしまう。
「働(く)」の語源は、「人」が「動(く)」から来ている、とか(鎌倉時代にできた「国字」という説)。やや飛躍して、「傍(はた)を楽にする」という解釈もあるようだが、結果がそうであれば、それはそれで結構であろう。
一方でテレビを観ながら、自分の運動音痴ぶりは棚に上げて、オリンピックの各種競技で繰り広げられている超一流アスリートの〝心情〟を想うことも度々だ。
「国の威信を賭けて!」「いや、自分自身に打ち勝つために」―。いずれの理由にせよ、鍛え抜かれたワザや躍動感は観る者の心を動かさずにはおかない。
勝負事だから「勝つ」に越したことはないが、逆に敗れてこそなお〝輝き〟が増す場合だってある。
「花あれば 花あるごとく 花なくば 花なきごとく、土よ 生き抜け」―。「花」を「メダル」に、「土」を「人」に変えれば、人生もそう捨てたものではないぞ、敗れざる者たちよ!
宮崎耿平先生がこの詩を詠まれたのは、戦争で一旦中止となった先のロンドンオリンピック(1944年)の頃だった、という。
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