9月9日に当たって…「長幼の序」も忘れずに
あれほど「ヌクイ」だの「アツイ」だのと騒いでいたのに、ふと気付いてみれば、肌に心地よい秋風が吹いている。早くももう「重陽の節句」(9日・五節句の一つ)だ。
本来の「旧暦」に基づくなら、10月に入ってからの行事となろうが、そこはそう拘らず現代風にアレンジするとして―。
古来、中国では奇数は縁起物とされ、なかでも「九」は陽数の極であり、月と日の数字が重なり合うことから「重陽」とされた、という。
中国の習わしでは、人々はこの日、丘や山など高い所にのぼって「菊酒」を飲み、邪気を払って長寿を願っていた、とか。
それが日本に伝わってきたのは奈良・平安朝の時代。宮中では「菊酒」を酌み交わしながらの、「詩歌」や「舞」などの賑やかで雅な催しが繰り広げられていたそうだ。
ところでもう一つ。「9月9日」と言えば、その語呂合わせで「
最近では救急医療の技術革新も随分と進んでいるようで、人々が集まる主要施設には「AED」(自動体外式除細動器)を見かけることも多い。
また、各地の消防本部などでは、施設の関係者にその正しい使い道を教える講習会なども積極的に開かれているようで、頼もしい限りである。
ただ、 そうした「命の大切さ」を尊重する動きが社会全体で広まっている一方で、幼児虐待などの悲惨なニュースが後を絶たないでいるのも事実だ。
普通の大人であれば、「躾」と「折檻」の違いなど明らかに判って当然だろうに、子どもを死に至らしめた後で「殺すつもりなかった…」などと言っても、誰が信用するものか。
いささか誤解を招くかも知れないが、えてしてこの手の犯人は目上の人に対しても、礼儀の何たるかをわきまえていない人種ではなかろうか?それとも、上の者や権力のある存在に対しては、必要以上にこびへつらってばかりいる連中だろうか?
救急医療機関に指定されている病院の裏口にしばらく佇んでいれば、いかに頻繁に救急車が出入りしているか、がよく分かる。本当に「おっ、また来た!」といった感じなのだ。
怪我や病気など理由は様々であろうが、その底流を為しているのは「何としてでも命を守ろう」「弱っている人を助けよう」―といった崇高なる精神である。
「9月9日」を迎えるに当たり、その日が「重陽の節句」であり、また「救急の日」であることを改めて深く認識するとともに、互いに実社会を構成する一員として、「長幼の序」(孟子)の大切さも決して忘れることがないように!
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