2013/02/26

輪から和への橋渡し…島原の『春の小川』ここに!!

 

弊社々員の〝有志2人〟が白土湖周辺の清掃を始めてかれこれ半年が経とうとしている。最近ではそれに触発されたようなかっこうで、毎月曜日の早朝には10人前後が加わるようになった。

もちろん〝強制〟なんかしていない。また、それぞれに〝家庭の事情〟もあるので参加できない者もいる。しかし、その〝輪〟は確実に広がってきており、筆者個人としては〝社内融和〟につながるもの、と秘かに期待もしている。

実際に屋外の掃除をしてみればよく分かるが、何とゴミの量の多いことか!最初の頃は「とにかく犬のフンだらけですよ」と有志のうちの1人が嘆いていたが、空き缶&その他の数も半端ではない。

それはそうと、今朝(25日付)の長崎新聞1面トップは、『銅座川 暗きょ解消へ』という特集記事だった。それによると、長崎市は10年後をめどに、暗きょ(老朽化が進んでいる)の上に建っている商店街や市場に立ち退いてもらって、散策路などを整備する計画だとか…。

世に名高い「銅座」や「思案橋」と言っても、たまに飲みに行く時くらいしか歩いたことがないので、そこが川に蓋(ふた)をかぶせた〝暗きょ〟の上だったとは、まったく意識したことなどなかった。

さすがに長崎は都会だなぁ~と感心する一方で、以前に何かの書籍で読んだ覚えのある『春の小川』(文部省唱歌)にまつわる話を憶い出していた。

〈春の小川は さらさら行くよ 岸のすみれや れんげの花に…♪〉。イメージからすれば、この歌からは田舎の牧歌的な光景が浮かんでくるが、その舞台は大都会!東京の渋谷区内にあるのだそうだ。

一説によれば、当時(明治~大正の過渡期)、作詞家の高野辰之さんが住んでいた代々木八幡駅付近を流れていた河骨川(こうほねがわ)を眺めながら創作したものだとか…。

さらに飛躍すると、その河骨川は下流域で宇田川や渋谷川と合流しているので、「『春の小川』は渋谷駅の地下を流れている」という説明だったかのように記憶している。

話は脱線してしまったが、我が事務所前を流れる「音無川」は最近、島原市によって繁茂した水草の清掃も行われ、実に綺麗だ。

箒を片手に右岸側を湖水方面に向かって進んでいくと、朝日を浴びた「玉姫橋」の裏側が見える。映し出す水面はまるで〝鏡のごとき〟だ=写真。

長崎や東京の話はさて置くとして、我が『春の小川』は、なかなかに趣きがある!