2013/03/10

人間は愚かな存在…“痛み”を知ってはじめて…

海外からは黄砂にPM2・5。そして国内ではスギ花粉。〝鼻炎持ち〟には何とも過ごしづらいシーズンとなった。

しかし、そんな中でも、自然界における木々や花々は〝文句〟の一つを言うでもなく、季節の移ろいに合わせて、黙々と自らの〝使命〟を果たしているように見える。

黄砂もPM―も、元をたどっていけば、中国大陸である。前にも書いたが、これがもし〝逆の流れ〟だったら、きっと日本は莫大な補償を求められているに違いない!?

そんな〝邪推〟にも似た思いを抱きながら歩いているうちにも、鼻水が止めどもなく流れ落ちてくる。誰に責任を負わせるでもないが、誠にもって腹立たしいし、情けなくもある。

テレビのニュース番組等を見ていると、春霞とは似ていて非なる、灰色の薄いベールに包まれたような日本の地方都市や北京(中国の首都)の様子を紹介している。内蒙古ともなればもっと状況は悲惨なようで、他人事ながらその複雑な胸中を慮る。

誰だったか忘れたが、かつて日本人宇宙飛行士の一人が宇宙から眺めた地球の様子について、「暗い部分が余りにも少なすぎる」(≒全体が明る過ぎ)とか嘆いていた。

〝俯瞰的〟と言えば、これほど俯瞰的な物の見方はあるまいし、世界のトップリーダーたちはもっとその時点で〝事の重大さ〟を深く認識する必要があったはずだ。しかし、悲しい哉、人類の〝危機意識〟はそこまでは及んでいない。

つまり、人間とはそれほど愚かな存在(だから核実験も行われる)で、自己の体験として〝痛い目〟に遭わない限り、本格的な対策に向けて動き出そうとはしないのである。

今のところ中国国内ではそうした〝大気汚染〟に端を発した暴動等は起きていないようだが、これが5年、10年…経って、健康を脅かすような事態が次々と発生するようになれば、民生上の混乱は免れまい。

その点、日本には、光化学スモッグや公害などといった過去の苦い経験則に裏打ちされた〝知恵〟がある。そのうち必ず「学ばせて欲しい!!」と助言を求めてくるはずだと思うが、いかがだろう?

それとも〝四千年の歴史〟というプライドにかけて、自力で解決の道を探るのだろうか。いずれにしても、「内政干渉だ」などと開きなおられても困る。現にこうして〝被害〟を受けて、ダラダラと鼻水を流している筆者のような日本人も無数にいるのだから。

話は変わるが、スギ花粉禍については、富山県などで花粉を飛ばさない新たな品種を育成する研究が進んでいるそうだから、期待を込めて待つとするか!?もっとも、筆者が生きているうちにはとても間に合わないだろうが…。