正直に腹を立てずに…鈴木貫太郎元首相の言葉
明日3日は「桃の節句」だが、幸か不幸か女の子に恵まれなかった筆者にとっては余りピンとこない。そう!「節句」と言えば、5月5日の「端午」であり、「菖蒲」なのである。
ところで、2月26日は何の日だ?と問われても、よほど年配の方でなければ俄かに答えは出まい。かく申す筆者とて同じだが、昭和史に関心のある方なら「二・二六事件」のことが即座に思い浮かぶだろう。
昭和11年2月26日、陸軍皇道派の影響を受けた青年将校らが「昭和維新断行・尊皇討奸」の旗を掲げてクーデター(~同29日)を起こした。結局、事件そのものは未遂に終わるわけだが、時の侍従長、鈴木貫太郎(終戦時の宰相、昭和23年没)は深夜襲撃を受け瀕死の重傷を負う。
「節句」の話から突然「二・二六事件」まで飛んでしまって「一体、お前さんは何を書こうとしているんだい?」と不審に思われる方も多いだろうが、要は『昭和維新の歌』(青年日本の歌)の話をしたいだけなのである。
その1番の歌詞。《汨羅(べきら)の淵に波騒ぎ 巫山(ふざん)の雲は乱れ飛ぶ 混濁の世に我立てば 義憤に燃えて 血潮湧く♪》
最初にこの歌を聴いた時、何のことだかさっぱり分からずにいた。その折、解説をして下さったのが、普賢岳災害時に「島原生き残りと復興対策協議会」の初代会長として活躍をされた「呉服の丸三」の高橋三徳社長さん(故人)だった。
つまり、中国の故事に詳しかった高橋さんのご指導で、楚の国王に諫言しながらも受け入れなかった「屈原の無念の死」をもとに「チマキ」(端午の節句に食べる)が生まれたことを知った、という次第だ。
再び「二・二六事件」に戻る。今年は昭和で言うと88年になる。以来、77年の歳月が流れたということで、『NHKニュースウォッチ9』がその話題を取り上げていた(もちろん2月26日に)。
番組では、鈴木元首相の夫人(たかさん)が昭和40年代初頭に、ご主人の古里、群馬県前橋市で講演した際の録音テープが見つかったことを紹介していた。
折にふれて筆者は高橋さんのことを思い出しているので、非常に興味深く視聴させていただいた。そして感動した。賊に襲われた際に見せた、たか夫人の毅然たる態度もさることながら、政界引退後の元首相の言葉が素晴らしいのだ。
そのまま引く。「正直に 腹を立てずに 撓(たわ)まず歩め」という極めて控え目な文言ながら、戦前~戦中~戦後の混乱の中を、武人(海軍大将)&政治家(総理大臣)として生き抜いてきたリーダーとしての〝胆力〟と同時に、人間としての〝大らかさ〟を感じるのである。
現在、前橋市の母校「桃井小学校」にはその碑が建てられ、後輩となる平成の子どもたちが校是として口ずさんでいる、という。
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