2013/03/07

米の飯はアトメシ!?…語源はさっぱり分からず

崩れたおにぎり?社員全員で毎日取り組んでいる今朝(6日付)の「活力朝礼」でのお題目だ。

テキストは倫理研究所発行の『職場の教養』(3月号)。ちなみに、前日は「啓蟄」が取り上げられていた。こちらの方は時節柄よく分かるとしても…。はて、その意図するところは?

半信半疑で読み進んでいくうちにジーンときた。何はともあれ、論より証拠。そのまま掲載文を引く。

【大正生まれのTさんの父親は、食糧の乏しい中で白い米が食べられず、家族の食事は大部分を麦がしめていました。】

【その父親が小学生の時遠足で、弁当のおにぎりを食べようとした際に、急に雨が降り出しました。いつものように麦飯だったため、おにぎりに雨粒が入り、丸かったおにぎりはバラバラになりました。】

【麦には粘りがないため、型が崩れてしまったのです。「その時の惨めさは忘れられなかった」と、父親は常々語っていたのです。】

【そして〈自分が辛い思いをしたので、子供たちには同じ思いをさせまい〉という一念で、Tさんの遠足には必ず白米の巻き寿司を持たせていました。】

以上、体験談を踏まえて〝今日の心がけ〟として帰結。それは「親の恩に感謝しましょう」というフレーズだった。

衣食住足りた現代社会においては、かつて話題となった『一杯のかけそば』(眉唾!?)を想わせる〝美談話〟のように取れないでもないが、素直に読めば、子に対する〝親の愛〟がよく伝わってくる。

と言うより、TPP云々の話より以前に、戦前・戦中派や、団塊世代の人々との語らいの中でよく「米の飯」の話題で盛り上がることがある。

「貧乏人は麦を食え」と言って物議をかもしたのは他でもない、「所得倍増論」で昭和30年代に我が国経済を驚異的に発展させた池田勇人元総理だが、その当時はやはり「麦飯」が主流だったのだろう。

個人的な記憶は余り残っていないが、先輩方の中にはこう述懐される人も多い。「麦飯ゃま~だよかった。トイモ(さつま芋)飯に比べたら…」などと。

そんなやりとりを聞いていると、つくづく「日本は贅沢になったのだなぁ~」と思うと同時に、「健康に良い」とか言って玄米や麦飯を有難がっている昨今の婦女子の〝変節ぶり〟を疑う。

米の飯が〝豊かさの象徴〟だった頃、確かそれを「アトメシ」とか言っていたはずだ。それは一体、方言なのか、古語なのか?手当たり次第に文献を調べたり、ネットで検索したりしてみたが、答えはない。

そこで、昼食に帰った時に母に尋ねてみた。すると、「うん、そがん言いよった!」と一発回答。ただしその手には、筆者には絶対に回ってこない、美味しそうな〝餡モチ〟がむんずと掴まれていた。