2013/03/24

それぞれに諸説あ…まだ続く「アトメシ論議」

本欄を担当していて一番うれしいのは、読者の方々から思いもよらない「反響」をいただいた時だ。最近で言うと、「アトメシ編」がそれ。

ふだんは余り言葉を交わしたことがないような強面の人まで「『アトメシ』んことば書いとったね。懐かしかったよ」などと笑いながら話しかけてこられる。

実は、掲載後すぐに瑞穂町在住の郷土史家、高木繁幸さんからお電話をいただいていたのだが、あいにく出張か何かで留守にしていたので、「確認」の機会を逸したままでいる。

まぁ~、そんなこんなで筆者の中ではすでに「アトメシ」のことは忘れつつあったのだが、昨夜、久方ぶりにサウナに行ったら、思いもよらぬ人からまたまたその話を持ち出された。その方は島原市の幹部職員だ。

氏によると、「アトメシ」とは、お客様にご馳走をふるまった後の「残り物のこと」を指すという。氏は「それほどまでに昔の食糧事情は貧しいものだった」と力説された。

すると、氏の友人と思しき傍らの初老の男性(職業不詳)が異を唱えられた。「違う!違う!『アトメシ』はコメとムギを一緒に炊けば、比重の違いからコメの方が下に沈むので、後から出てくる。だから、そう言うのだ」と。

「なるほど!なるほど!」と、筆者は下腹の贅肉をつまみながら両者の「御説」に聞き入っていた。そこに割り込んできたのが、すぐまたその隣にいた漁師のオジさん。

「『アトメシ』やゴッツ(ご馳走)んこったない。フナト(漁業者)は昔からコメん飯ば食いよった。そんかし、板子一枚下は地獄じゃけんなぁ~」と、豪快に笑い飛ばされた。

最終最後の「結論」は高木先生にお尋ねするつもりでいるが、筆者はここまで聞いてきて、ある「仮説」を思いついた。

要するにこういうことではないか…。かつての藩政時代においては、武家階級にはコメでもって扶持(ふち)が与えられていたのでムギやイモ類は食べなかった。つまるところ「アトメシ」とは、まったくもって「庶民(農工商)の食生活」に根差した、ビビッドな鮮烈な言葉ではないだろうか?

サウナの中でも「諸説」飛び交ったように、何が正解なのか?まだ確たる所は分からない。ただ、読者の皆様のおかげで、書き手としてはもう十分に楽しませていただいた。ありがとうございました。

それはそうと、横綱白鵬が22日、2場所ぶりに幕内優勝を果たした(13連勝、24度目)。大相撲の世界では「おカネ」のことを「おコメ」と言い表すそうだが、何はともあれ、同関の後援会長で弊社のスポンサーでもある「アサヒ緑健」の古賀社長は内心ホッとされていることだろう!!

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