22回目の「6・3」…池谷さん、島原の現状を叱る
22回目の「6・3」は朝から爽快な気候に恵まれた。振り返ってみればこその〝実感〟であるが、歳月の流れの早さに驚く。
当時、35歳だった筆者は57歳になった。一昔前ならとっくに〝定年〟を迎えている年齢だが、いまだに〝現役〟でいられることは果たして喜ばしいことなのかどうか…。
この間、一緒に噴火災害下で苦悩した仲間うちの何人かはすでに鬼籍に入った。かく言う筆者も、あの大火砕流に呑み込まれていたとしても、少しも不思議ではなかったはずだが、はや22年間も生き延びさせて頂いている。
朝一で訪れた仁田団地の献花台の前では、多くの報道陣が災害発生当時の島原市長、鐘ヶ江管一さんを取り囲んでいた。矢継ぎ早に繰り出される質問に、瞑目しながら一つひとつ言葉を絞り出す元市長。その脳裏を横切るものは…。
消防団の慰霊碑(平成町)に赴くと、若手の団員諸氏が勢揃いして白菊の花を手渡してくれた。固い蕾の形状は志半ばにして散った〝無念〟の象徴か。
その足で安中公民館へ向かった。「安中復興まちづくり20周年講演会」に出席するため、だ。会場には懐かしい顔ぶれを中心に、約150人の地元の皆さんが集まっていた。
特別講師を務めたのは、『土石流災害』(岩波新書)などの著書を持つ、元建設省砂防部長の池谷浩(いけや・ひろし)さん。現在は政策研究大学院大学(国立)の特任教授として、大学院生を相手に教壇に立っている、という。
確かな「研究実績」と豊富な「現場体験」に裏打ちされた話は少しの無駄もなく、かと言って官僚出身者特有の堅苦しい言い回しもなく、聴き応え十分!実に分かりやすかった。
何よりこの方は、島原のこと(将来)を心底、慮って下さっている稀有の〝人財〟である。我々島原んもんは、もっとこの人の〝知恵〟を借りる必要がある、と痛感した。
以前と言っても、もう10年以上も前の話だが、ある伝(つて)を頼って建設省本庁に〝取材〟のためお邪魔したことがある。
とにかく、広い執務室で最初からドギマギしっぱなしだったが、「だいたいここには全国の知事さんクラスがやって来るんだ。君は島原からだから、特別だ!」と言って、歓待して下さった。
その際、どんなやりとりをしたのか今ではすっかり忘れてしまったが、「噴火災害からの復興」にまつわる話だったことだけは確かである。
翻って、22回目の今日―。詳しくは本紙T記者の記事を読んでいただきたいが、「いまだに復旧段階を乗り越えていないのではないか」「生活でなく生計の基盤を早く確立せよ」などとする厳しいご指摘は、さすがに耳が痛かった。
偶然にも、せっかく頂いた命。まいっぺん、頑張ってみっか!!
0 Comments:
コメントを投稿
<< Home