真夜中に被災地視察…全く予定してなかったが…
東京でCATV関連の用事を済ませて一泊。朝早い東北新幹線で仙台に入った。およそ10年ぶりに訪れたわけだが、駅周辺の様相はさらなる〝大都会〟へと激変していた。
全国200社強が加盟する「一般社団法人日本コミュニティ放送協会」の定時総会は、地場資本で伝統と格式を誇る老舗ホテルで開かれた。
最大の関心事は任期満了を迎えた会長人事だったが、大方の予想通り、久留米市に本社を置く「ドリームスFM」の白石勝洋社長に決まった。九州出身初の会長就任だ。
新会長とはふだんから頻繁に意見交換をしている間柄で、何より元久留米市長という経歴が示すように、行政的な手腕には〝定評〟がある。今後の舵取りに大いに期待しよう。
総会後の懇親会には多くの来賓が招かれていた。まずは地元を代表して宮城県知事、次いで仙台市長。いずれも代理出席ではあったが、「被災地支援!」という名目でのご当地開催に、感激のご様子。
また、監督官庁の総務省からも幹部クラスが多数のご参加。東日本大震災で活躍したコミュニティFMの存在価値を再認識するとともに、その〝輝かしい未来〟に向けて励ましのエールを送って下さった。
さて、仙台の名物料理と言えば、何はさて置いてでも、「ギュータン」(塩焼き)であるが、個人的には前々日に食した宮崎の「バタン」(刺身)の方に軍配を上げたい。いかんせんしょっぱ過ぎて…。
ところで、この日はある〝人物〟と約束があって、途中からパーティ会場を抜けた。と言っても、色白の東北美人が待ち受けているような艶っぽい話なんかでない。
待ち合わせ場所に現れたのはヒゲ面の五十男。現地の出版社々長。10数年ぶりの邂逅であったが、すぐに氏とわかった。挨拶もそこそこに、近くの居酒屋へと直行。聞けば、森進一の歌にも出てくる、あの有名な国分町(こくぶんちょう)だという。
乾杯後、氏は普賢岳噴火災害当時を思い浮かべるかのように、熱く語った。ついついこちらもペースにはまって多くを語り過ぎてしまったようだ。
頃合いを見計らったかのように「津波に襲われた隣の名取市に行こう」という話になった。タクシーに乗せられてどれくらい走っただろうか…。気付いた時には、何やらだだっ広い〝草原〟のような所にいた。
背後には神社と思しき建物の残骸。その近辺を歩きながら、氏と途中から合流した女性編集長の話が始まった。「いいですか清水さん、この地で700人もの方が亡くなったんですよ」「見た目は原っぱのようですが、ここら一帯、住宅地の跡なんです」-。
いきなりそう言われても返す言葉などなかった。遠くに対岸の灯がかすんで見えた。ただただ合掌。
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