選挙明け鹿児島へ…歴史の闇に沈んだ「鬼池丸」
「偶然の一致」にしか過ぎないと思うが、弊紙に掲載されていた宮崎昌二郎さんの挿絵入りエッセイ「口之津―鬼池航路」を読みながら、思わず手元にあるカメラのデータを呼び戻していた。
…参院選投票日となった先の日曜日に、早崎の「瀬詰灯台」で撮ったものだ。晴天、ベタ凪の極めて緩慢な気象条件であったが、早崎海峡の潮流はまるで〝大河の流れ〟のようであった。宮崎さんによれば、そのスピードは時速10㌔ほどもあるそうだ。
この場所には噴火災害当時からよく訪れていた。相方は西川清人さん(故人・有明町)で、大概は真夜中。三脚を構えて、レリーズをセットし、沖合をゆく船の軌跡と星の流れをゆっくりと追っていた。
中には、我ながらよく撮れたよなぁ!と感心するような一枚もあったが、今では散逸してしまって何処に行ったのやら…。
そんなことより、宮崎さんの文中に出てくる「鬼池丸」の沈没事故(昭和14年)の記述に仰天した。数日前、無心で覗いていたファインダの先の海で、38名もの犠牲者が出ていたとは!!
しかも、その天草行きの船に乗っていた浪花節語りの一行のリーダーが、あの三波春夫さんと並び称される国民的大演歌歌手の一人、村田英雄さんの父親(虎丸さん)だったとは!!
村田さんの生家は佐賀県
しかし、いかに戦前の出来事とはいえ、どうしてそれほどまでの〝大事故〟が人々の記憶から消え去ってしまっているのか?それとも〝不吉な出来事〟として、意図的に隠しているのだろうか?潮流は何も教えてくれない。
話はまったく変わるが、参院選挙明けの月曜日、FM放送関係の所用で鹿児島市内に車で出かけた。ほぼ徹夜状態だったので、運転は往路、復路とも同行の社員に任せた。
したがって、楽チンな出張ではあったが、傍らで一生懸命ハンドルを握っている人間がいるのに、なかなか眠れるものではない。
それでも空調のよく効いた車内に居ると、いつの間にやらウツラウツラ。「間もなく着きますよ」との声に起こされたのと同時に、「ドーン」という爆発音。桜島が噴煙を上げていた。〔
写真は車中から〕。
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