2013/09/20

ロマンティックな月見!?…同志社OBのMT先生のこと

19日は「中秋の名月」。島原市内でも夕方から、海・山の各所で、その月を愛でる公的な催しが賑やかに繰り広げられる、とか。多分、昼間この天気だから間違いないだろう。

蛇足ながら、「中秋―」の日取りは決まっているものではなく、昨年は30日、一昨年は22日、そして来年はぐっと早まって8日だそうだ。

さて、NHK大河ドラマ『八重の桜』が人気だが、月の話で思い出すのは主人公・山本八重(後の新島襄夫人)が会津降伏の折に詠んだ次の一首―「明日の夜は 何国(いずこ)の誰か ながむらん なれし御城(みしろ)に 残す月影」

長い籠城戦の末に、奮戦むなしく敗れ去った会津藩。八重はこもごもの思いを胸に、鶴ヶ城三の丸の雑物蔵の壁に櫛を使ってこの和歌を刻んだ、と言われている(=上杉時代館)。

その後に生まれ変わった八重の〝変身ぶり〟についてはテレビを観ていただきたいが、1つしかない月を、「同じ時間帯に」、それぞれ「別の場所から」眺めるという設定は、何とロマンティックなことか!

可能であれば、そうした〝状況〟に我が身も置きたいと願うが、いかんせんもうその〝若さ〟がないし、肝心要の〝相手〟がいない(勿論、経験もない)。今となっては「月観て一杯」がせいぜいか…。

ところで今日(19日)は、午前中に「島原振興局」と「FMしまばら」との間で、防災情報の提供に関して協定を結ばせていただいた。

詳しい内容については別途新聞記事やKTN、NCCのニュースをご覧になっていただくとして、会見場では語らなかったが、個人的には様々な思いが交錯して感慨深かった。

現在、ロックシェッドが設置されている区間は、筆者高校時代の通学ルートであったからだ。当時(昭和40年代後半)は、雨が降る度に土砂崩れが起きて、よく通行止めとなった。

そんな折、活躍されたのが八重とも無縁ではない同志社OBで国語教師だったMTさんだ。先生は南串山町・小津波見在住で、バス通学生の生活指導役としても活躍されていた。

例によって通行止めになったある日のこと、先生は「いずれバスは動き出すだろう。しかし、自分は教師だから、その前に学校に行っておかねば!」と、耕運機(テーラー)を駆って出勤されたのだそうだ。

その〝逸話〟〃が本当かどうかまだ確認はしていないが、事実だとすれば、当時の時代状況を彷彿とさせる、何とも微笑ましい話ではないか。

直木賞作家の山本兼一(『利休にたずねよ』)に本屋大賞の百田直樹(『怪物と呼ばれた男』)…。先生に限らず、最近の同志社OBの活躍ぶりは目覚ましい限りだ。

ひょっとして先生も、筆者と「同じ時間帯に」…。仮にそうだとしても、全然ロマンティックなんかでない!!