プロの業に驚嘆!!…ゼロから発した豊後高田
東京在住の老齢のオヤジさんが7月上旬、娘さんの運転する車に乗って島原新聞社を訪ねてきた。聞けば、前泊地は島原とも縁の深い大分県・豊後高田市。
着くなり、弊紙について根掘り葉掘り取材を開始。古びた応接用のソファーにどっかと腰をおろし、大学ノートを広げて、やおらカバンから高級そうな万年筆を取り出した。
記録用のICレコーダなどは持参していない。対面を重視する、根っからのアナログ取材だ。ふと、噴火災害当時に、雑誌の取材で東京からやって来た著名なルポライターの
もちろん初対面ではあったが、醸し出す雰囲気からすぐに打ち解けた。会社経営にかまけていつしか忘れていたが、取材記者独特の同じ〝臭い〟が漂ってきたのだ。
次々と繰り出される質問に対して
取材そのものは写真撮影も含めて一時間強で済んだ。後は島原自慢の美味い酒と肴を挟んでの懇親会。久々に〝談論風発〟の中に身を浸した。
それからちょうど2カ月。ほとんど忘れかけていたところに、一昨日、洒落た装丁の印刷物が送られてきた。『リベラルタイム』というビジネス関係の月刊誌(10月号)だ。
紹介が遅れてしまったが、お運びいただいたのは『サンデー毎日』の元編集長・
四方さんは政治部出身だそうだが、「余り馴染めずに社会部との間の〝中二階〟で仕事をしてきた」と苦笑い。TVでもおなじみの鳥越俊太郎さんは週刊誌時代の後輩だという。
誤解のないように言っておくが、そんな著名な人に取材を受け、雑誌にまで紹介されたことを自慢するために書いているのではない。四方さん自身「地域紙の頑張りがその土地の浮揚に欠かせない」が持論で、その点では筆者と考えがピタッと一致している。
一方で、趣味人でもある四方さんは『蕎麦春秋』という別の月刊誌も手掛けており、「お前さんは島原ソーメンの産地の人間だから仲間に入れてあげる」と、特別に入会許可を下さった。
冒頭の話に戻る―。豊後高田市にある蕎麦屋の軒数は現在13店。まったく〝ゼロ〟からの出発だったと言うから、ひょっとして、何かしら今後の展開に向けての〝天の啓示〟ではなかろうか…?
さらに余談だが、四方さんは現在、自身の古里でもある京都市近郊で「郷土紙」の拡販にも取り組んでいる。コシの強い麺のような〝長~い付き合い〟になりそうな予感がする。
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