2013/10/01

「一掃除二信心」…頭にきた脱糞野郎!!

こう言うのを夏バテと呼ぶのだろうか。肩は凝るし、咳やクシャミが止まらない。それでも、せっかく緒に就いたばかりの「草むしり」(主に早朝)である。体調が芳しくないからと言って、おいそれと止めるわけにはいかない。

労を厭わずに働く記者の世界にだって、「原稿より健康」という伝統めいた言い方さえある。では何故、そこまで無理して頑張る必要があるのか。別段、誰に頼まれたわけでもないと言うのに…。

答えは簡単だ。作業後、綺麗になった場所を改めて眺めるのが無性に気持ちが良いからだ。もちろん作業そのものは楽しくも何ともない。出っ張った腹がつかえて邪魔になるし、ヤブ蚊にもくわれる。また腰も痛いし、終わった後は、ペンを握ろうにも指先が言うことをきかずヘロヘロした字しか書けなくなる。

なのに、まだまだ続けようと思っている。ただ気懸かりなのは明日から長期の出張が入っていること。この間に〝心変わり〟がしないことを、今のところは願っている。

仏教(禅)に「一掃除二信心」という教えがあるそうだ。その意味は文字通り、何よりもまず「掃除をすることが大事である」と。

「掃除」に関して言えば、トイレの清掃で有名な「イエローハット」(カー用品販売)の創始者、鍵山秀三郎さんの言葉が浮かんでくる。「一つ拾えば一つだけ綺麗になる」。いまだに思い出す、実に簡にして要を得た一節だ。

草むしりをしていると時々、予想される作業量の大きさや困難さを前に心が挫けそうになるが、いつもその一節を思い出しながら前に進んでいる。

当然、嫌な事にも遭遇する。数日前には、ヒトなのかイヌ、ネコなのかよく判らない〝糞〟が道路脇に置き去りにされていて、印ばかりにティッシュペーパーが被せられていた。

さすがに気持ちのよいものではない。さりとて、放置もできないので新聞紙で物体ごと掬い取って、後はホースの水で綺麗に洗い流した。

愛犬家も、愛猫家も大いに結構である。ただし、散歩の際の〝後始末〟だけは決して忘れないでいただきたい。それが出来ないようなら、飼うのはもう止めて欲しい!

話が脱糞ならぬ脱線してしまったが、先の禅の教えを本にされた臨済宗相国寺派管長の有馬賴底(ありま・らいてい)さんがこう述べられている―。

「心を高めたいならば、信心よりも、まずは掃除です。あなたの半径一メートル、目に見えるところから構わないので、整理整頓をして、掃除をしてみてください。間違いなく、あなたの心に変化が表れるはずです」と。

筆者も早く元気になって、また「草むしり」に励みたい。