2013/10/12

“救いの手”随所から…優秀なスタッフに恵まれ

何日も執筆を休んでいると、口さがない悪友たちが「こんごりゃ、なぁ~んばサボっちょっと?仕事もせんで…」などと冷やかし半分で声をかけてくる。

その度に身のすくむ思いと言うか、罪悪感に近いものが脳裏をかすめるわけだが、いかんせん雑事に追われてしまって。それに出張も多いし…。

筆者のように、本来取り組むべきことを怠っている状況を、世間一般では「歌を忘れたカナリア」と称しているようだが、このフレーズ、想っていた以上になかなか〝意味深〟なようで―。

童謡『かなりあ』を作ったのは詩人の西條八十。なりゆきまかせでその歌詞を調べてみたが、余りのシュールさに慄然とした。

《歌を忘れたカナリアは後ろの山に棄てましょか/いえいえそれはかわいそう/歌を忘れたカナリアは背戸の小藪に埋けましょか/いえいえそれはなりませぬ/歌を忘れたカナリアは柳の鞭でぶちましょか/いえいえそれはかわいそう/歌を忘れたカナリアは象牙の舟に銀のかい/月夜の海に浮かべれば/忘れた歌を思い出す》

一説によると、この作品は西條自身が創作活動に行き詰った際の〝心境〟を吐露したものだと言われている。

それにしても、だ。ちょっとサボった(?)からと言って、いちいち山に棄てられたり、藪に埋められたり…。カナリアならずとも、そんな仕打ちを受けたら、たまったもんじゃあるまい!

いやいや、現実社会はそんなに甘いもんじゃないぞ!役目を果たさなくなったら、もうその時点でお払い箱さ。それが〝世間〟というものだよ、君。

どちらの考え方にも〝一理〟があって頷けるわけだが、やっぱり社会の在り方とすれば、やさしい方が断然住みやすいに決まっている。

さて、翻って我が身。度重なる出張でなかなか出稿出来ない筆者の〝穴〟を、他の社員スタッフが立派に埋めてくれている。誠に心強い限りだ。

それは新聞社にしてもケーブル&FM局にしても同じ話で、筆者が現場に居ようが居まいが、本来のなすべき〝仕事〟は日々きちんと仕上がっている。

ここ1週間ほど出張続きで、「不安」と「申し訳なさ」で頭がいっぱいだったが、金輪際もうそのような「心配事」はしないでも済みそうな雰囲気だ。

アメリカの鉄鋼王アンドリュー・カーネギーが自らの墓碑銘にこんな言葉を遺しているそうだ。「自分より賢い人間を自分の周りにおく方法を知っていた者ここに眠る」と。

歴史に名を残すような偉大な詩人でも経営者でもないが、周囲に助けてくれる人間がいることは何と心安らぐことか!〔怠け者のモノローグでした〕