あの伊豆大島が…「情報伝達」大いに問題あり
一度でもその地を訪れたことがあれば、何かしら〝ご縁〟のようなものを感じるのが普通の感覚であろう。筆者にとっては、東京都・大島町もそんな所だ。
通称「伊豆大島」と呼ばれるこの島を訪ねたのは今から10年ほど前のこと。小学校の教員をしている妹夫婦が住んでいたこともあって、東京出張の帰りに立ち寄ったことがある。
その時初めて、「島嶼」(とうしょ)という言葉を聞いた。その意味は「大小さまざまな島々」ということだそうだ。
まあ、そんなことはさて置くとしても、今回の台風26号の影響で、伊豆大島が大変な事態に陥っていることを、テレビ&新聞の報道で知って大いに心を痛めている。
山崩れ(土石流)によって、これまでに17名の死亡が確認され、行方が判っていない人も40数名(=17日朝現在)。倒壊家屋は280棟以上などとされているが、被害の全貌をつかむまでには、まだまだ時間を要しそうだ。
伊豆大島で思い出すのは、昭和61年の「全島避難」騒ぎ。約1万人の住民が三原山の噴火から逃れるために、大型の旅客船で一斉に「島脱出」を図った、あの視覚的な記憶に残る火山災害だ。
数年後、我が古里・島原市でも似たような境遇に置かれ、市役所が地震による「眉山崩壊」を想定して、全市民を対象に大規模な避難シミュレーション(バスによる脱出計画)を立てた経緯を覚えている人も多いだろう。
筆者が訪ねた頃の伊豆大島は、実にのどかな田舎であった。時季は6月。今回被害のあった元町地区には「御神火温泉」があって、プールなどの併用施設も整えられていた。
三原山(頂上)への登山ルートも綺麗に整備され、途中にはアジサイの森もあった。何より眼下に見下ろす海の眺めが素晴らしかった。また、火山博物館にも足を運んだ。
歌にもうたわれた「波浮の港」では地元名物のコロッケも食べたし、「伊豆の踊り子」の記念館も見学してきた。妹一家とともに昼食を食べた森のレストラン(ハーブ園)はどうなったんだろう?あの商店のおばちゃんは?
起きてしまったことは取り返しがつかないことはわかっているが、もう少し「情報の伝達」がうまくいっていたら、被害のありようも随分と変わっていたはず。もちろん、犠牲者の数も、だ。
報道によれば、自治体による避難勧告や指示もなく、台風当日、県外出張をされていた町長さんは、悪びれることもなく「二次被害防止のため…」と、その理由を語られている。
「災害は忘れた頃にやってくる」と言われるが、伊豆大島の場合は形を変えて30年未満でやってきた。「他山の石」と言うより、同じ痛みを分かっているのだから、「我が事」として考えねば!!
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