2013/10/24

蓮の花と故・連城さん…本人死しても作品は残る

直木賞作家でもあった真宗大谷派の僧侶、蓮城三紀彦さんの訃報記事(19日死去)が、各紙の今朝の紙面に載っていた。享年65歳は余りに早過ぎる気もするが、これもまた〝寿命〟と思えば仕方がない…。

第91回直木賞(昭和59年)の受賞作となったのは、『恋文』という短編集。後に神代辰巳監督によって映画化された。

当時、連城さんは大好きな作家の一人で、手当たり次第に関連作品を買っては読んでいた。今となってはどの本だったか忘れたが、「蓮の花が咲く際の描写」には、余りの巧さに思わず唸ってしまったことを覚えている。

もちろん、それまで蓮の花などじっくりと眺めたことなどなかったので、まずは驚いたわけだ。蓮城さん曰く「音がする」というのだ。

それが「ポッ」なのか「ポーン」なのか想像だに出来なかったが、縁あって島原城のお膝元で暮らすようになって、求めれば叶う環境下に―。

ちょうどその頃(昭和末期)、筆者は写真に凝りだし、西川清人門下生として何かと言えばカメラを持って走り回っていた。無論それが〝商売〟でもあった。

或る夜、いつものように西川邸で酒をかっくらっていた時、偶然にも「お城の蓮」の話になった。と、そこで筆者が連城作品の一節を伝えたところ、西川さんが俄然目を見開いてアドレナリンを出し始めた。

その晩、筆者は早めに帰って寝たのだが、翌朝になって西川さんから電話がかかってきた。「モシモ~シ、早よ来んね!堀端でパンパン音んしよるけん」。

西川さん一流の軽いジョークだと思ったが、一方で「本にも書かれているので本当かも知れない…」という気もしてきた。とにもかくにも〝現場〟に行かねば!

息せきって八尾病院前まで駆け付けると、西川さんはすでに梯子を伝って下へ降り、悠然と三脚を構えて待ってくれていた。

「どがんやった西川さん。ほんて音んしたと?」。一瞬の沈黙の後、西川さんが前歯の欠けた口を開いてニヤッと笑った。「聞こえんやった。ばってん、良か写真の撮れたぞ!」。

西川さんからいただいたその写真は、今も我が家の〝宝物〟。そしてお盆のシーズンには、床の間に出して飾っている。

思えば、西川さん(享年49歳)が亡くなったのは今から13年前の2000年10月21日。月日が経つのは早いものだ…。

しかるに、5つも年下の筆者はまだ、こうして馬齢を重ねる身。連城さんにせよ、西川さんにせよ、才能豊かな人はおしなべて〝短命〟である。

「清人ん代わりに、ワイどんが逝けば良かったったい」。悲しみの余り、そんな〝毒舌〟をぶつけたきた、どこぞのバアチャンは90を過ぎてもまだまだ元気だ。それもまた良し!!