2013/10/26

本人の知らぬ間に…えっ「保険」も「戒名」も

昨日、昼食を摂るために自宅に戻ったら、母や家人、妹らが何やらヒソヒソ。〝鳩首会議〟といったような雰囲気だった。

ひとつ咳払いをした後、大きな声で「ただいま!」と帰宅した旨を伝えた。と、ビックリしたような全員の表情。即座に「これは何かあるな」と直感した。

問い質してみると、筆者にかけた「保険金」の内容について協議していた、とのこと。「マジかよ?」と笑い飛ばしてその場を取り繕おうとしたが、どの顔も真剣そのものだった。

東洋経済オンラインによると、昨年中に亡くなった日本人の数は126万人。一方、生まれてきたのは104万人で、その差は22万人。

かくして、「葬儀ビジネス」はピーク(死者167万人)を迎える2040年まで拡大、そして激変していくとの予想である。

話を我が身の回りに移す。昨年から今年にかけて伯父二人が相次いで亡くなった。筆者も通夜・葬儀に参列したわけだが、その際に気になったのは、それぞれ菩提寺のお坊様から授かった「戒名」のこと。

祭壇に飾られた白木の位牌には、仏の〝生き様〟をぐっと凝縮したような漢字が奇数で描かれている。「巧いな」と感心する反面、生前の元気な頃の姿を思い出して「虚しさ」も覚える。

その「戒名」の一歩前、すなわち「遺言」の話で有名なのは、戦後、吉田茂総理の秘書官として活躍した白洲次郎さんのそれ。例の「葬式無用、戒名不要」というやつだ。

白洲さんと言えば、英国留学中から高級車ベントレーを乗り回し、日本に初めてGパンをもたらした、モデルのようなカッコイイ男性として有名だ。

前述の「遺言」は、だからこそ余計に、輝きをもって後世まで語り継がれているのだろうが、果たして我が身の行く末を考えた場合は如何?

昼食後、つとに平静さを装って家人らに尋ねてみた―「で、ボクの保険金は幾らね?」「○○○円よ」「意外と安かね」「そう、その程度じゃ」「……」。

そんなやりとりの後、次は「戒名」の話になった。「やっぱ、僕の場合は名前からして『眞』の字の入っとじゃろかい?」「ハァ~なして?アナタのはもう決まっちょるよ」。

えっ!こんなにピンピンして日夜を問わず(?)飛び回って働いているのに「保険金」も「戒名」も、本人が全く知らない間に決められているなんて!?

呆然自失。しばし目の前の光景が信じられなくなったが、意を決して尋ねてみた。「で、ボクの戒名は…?」

全員が口をそろえてこう返してきた。「『無』(ぶー)よ、『無』(ぶー)。カッコよかろ。インドの哲学みたいじゃ」。

「『ぶー』てか?せめて『む』と読んでくれんじゃろかい」。〔※お断りしておきますけど、家でのやりとりはすべて〝事実〟です〕