唐津は素晴らしい街…災対に政治信条は無関係
九州地区のコミュニティFMの集まりがあって、佐賀県唐津市で一泊してきた。どういうわけか今年は妙に〝唐津づいて〟いて、四度目の訪問である。
会議そのものは型通りに進み静かに幕を閉じたが、その後の懇親会はやけに盛り上がった。唐津と言えば、何はさておいても「イカ料理」である。
会費は酒代込みでポッキリ3千円であったが、卓上にはメーンの「活きづくり」が何鉢も並んだ。脇にはそれぞれお手頃サイズの金バサミ。
他県からやって来た連中は「一体なに?」と怪訝な表情を浮かべていたが、「こうやって足の部分を切り離すんですよ!」と訳知り顔で教えてあげた。
実を言うと、前にも一度ご相伴にあずかった店だったので、〝復習〟のようなもの。周囲が「ホー!」とタメ息をついて眺める。罪のない〝知ったかぶり〟もたまにはいいものだ。
中締めが終わって表に出ると、どこからともなく響いてくる笛や鉦、太鼓の調べ。来月2日から始まる「唐津くんち」(~4日)の練習だという。
前にも聞いたことがあるが、祭りの期間中は、どこの家でも料理を用意し、見知らぬ人でも上がり込んでご馳走になれる、という。いまどき、随分と気風のよい土地柄ではないか!
街中を歩いていて感じるのは、得も言えぬ城下町の風情。古い建物をリメイクして飲食店としている所が何軒もあった。この点などは島原も少し学んだらどうだろう。
そのうちに、ふと思い出したことがある。今を遡ること22年前、普賢岳噴火の被災者の人々を励まそうと、確かバス3台かで「唐津くんち招待ツアー」が実施されたのではなかったか?
個人的にはまだ見ぬ勇壮な祭りであるが、過去に受けたそうした〝恩義〟のことを思い出すだけでも、何やら目頭に熱いものを覚えてしまった。
ところで、昨今の自然災害と言えば、何とも沢山あるが、記憶に新しいところでは、やはり東京都大島町の土石流だろう。
台風の行方も気になっていたのでホテルに戻って早速持参したタブレットを開いてみたら、夕刊フジが週刊新潮の特ダネをもとに、同町の川島理史町長の災害発生当日(今月15日)の〝行状〟を暴いている。
記事の内容は、出張先の島根県隠岐の島町で、台風豪雨の対応に追われている町役場とも余り連絡を取らず、11時間も飲酒をしていた、というもの。
その指摘自体は「トップとしての責任感」「危機管理」の観点からしても、正鵠を射たものと言えるが、「共産党云々」のくだりは果たしていかがなものか…。
災害時の対応においては〝政治信条〟など一切関係ないはず。なぜ、そうした〝論調〟になるのだろうか?取りあえず、同誌を買ってみよう。
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