2013/11/01

川上哲治監督が死去…えっ『巨人の星』第1回に!?

昨夜、佐世保出張から帰って、寝ころんで日本シリーズ第4戦を観ていたら、巨人、楽天両チームの選手たちがユニフォームの左袖に〝喪章〟を付けて戦っている。

何々…?と訝っていたら、元読売巨人軍監督の川上哲治さんが亡くなった(28日)との報。享年(93歳)を聞いて、歳月の流れに思いを馳せた。

案の定と言うか、今朝の新聞各紙にはその関連の記事が硬軟取り混ぜ盛り沢山。全国紙4紙は筆を揃えたかのように一面コラム欄でも取り上げている。

川上さんを語る上で欠かせないのは「赤バット」「弾丸ライナー」などだが、これらはすべて現役時代のこと。筆者が物心ついた時分からは日本シリーズ9連覇に集約される監督業としての〝金字塔〟である。

各紙の情報を借りれば、「V9快進撃」の始まりは昭和40年。今でこそサッカーなど他スポーツにも注目が集まっているが、筆者の少年時代はプロ野球一色であった。

長嶋、王という黄金コンビ(なぜか順序は逆で「ON砲」と呼ばれていた)の活躍は新聞、テレビばかりにとどまらず、少年漫画雑誌などでも大きく取り上げられていた。

その人気を不動のものにしたのは、何と言っても、梶原一騎原作、川崎のぼる作画の漫画&アニメの『巨人の星』であろう。

<思いこんだら 試練の道を 行くが男の ど根性 真っ赤に燃える 王者のしるし 巨人の星を つかむまで 血の汗流せ 涙をふくな 行け行け飛雄馬 どんと行け♪>

後に世代が変わって「重いコンドラって一体?」などといった、まったく笑えないジョークを垂れ流す輩もいたが、我々世代にとってはとんでもない不埒な野郎である。

さて、その『巨人の星』の話。テレビアニメの記念すべき第1回に、何と川上哲治さんが出演していたことを、今朝のスポーツ報知が紹介している。

そのシーンは―。ボール1個大の穴を通す星飛雄馬(主人公)の投じた球を、川上さんが同じ穴を通して打ち返すという筋書きだそうだ。

長嶋さんばりの健忘壁のある筆者の脳内には記憶の残片も無いのだが、左門豊作という飛雄馬の良きライバルでもあった強打者のモデルが、〝肥後もっこす〟の川上さんであった、という説には大いに頷く。

川上さんの出身地はご存じ、熊本県人吉市である。筆者は仕事でよく車を使って鹿児島・宮崎方面に出かけるが、その道すがら車窓から眺めるのがその人吉の街並み。そしていつも我が少年時代を回想しながら思う。「稀代の名監督はここで生まれたのか…」と。
そうそう忘れていた川上語録がある。「ボールが止まって見える」という例の有名なセリフだ。ただ反論するようで恐縮だが、「止まっていても難しいんですよボクには、監督」(=ヘボゴルファーの嘆き)