初心忘るべからず?…誤解多い世阿弥の言葉
年が明け、世間からは「初」にちなんでか、「ハッ!ハッ!ハッ!」と笑い声が聞こえてくるようだ。
さて、その「初」の文字を『字通』(白川静著)で引くと、こうあった―。会意衣+刀。衣を裁ちそめる意。ことはじめとしての儀礼的な意味を背景にもつ字である。
これじゃ何のことだかサッパリ分からぬ。そもそも「会意」って何だ?と今度は『広辞苑』(新村出編)を紐解く。
それによると、会意とは、漢字六書(りくしょ)の一。象形・指事により造られた漢字を結合し、それらの意味を合わせて漢字を合成する方法。「日」と「月」を合わせて「明」とする類。
と今度は「指事」が分からない。再び『広辞苑』。漢字六書の一。事柄や数などの抽象的な概念を象徴的に記号化して字形とする方法。「一」「二」「上」「下」「本」の類。→六書
これ以上やると、頭が余計にコンガラガルので、もうやぁ~めた。要するに、「物事の始まりのこと」じゃろもん!
そうこうしているうちに、毎週火曜日早朝6時からホテル南風楼で開かれている「モーニングセミナー」の主宰者である一般社団法人・倫理研究所法務局からメールが届いていることに気付いた。
早速開いてみると、大きな文字で「初心を戒める」とのタイトル。同研究所会長を長年務めていた丸山竹秋さんが遺した言葉だそうだ。
文頭に、「能」(古典芸能)の大成者として知られる世阿弥(ぜあみ)の言葉が紹介されている。「初心忘るべからず」という、例の有名な教えのことだ。
ところが、この教えを誤まって理解している人が随分と多いらしい。かく申す筆者もその一人だが、ここで言う「初心」とは、「うぶで純情な初めの心」なんかではない!
その本来の意味は「初心の芸がいかにつたないものであったか、その未熟さ、醜悪さを想いだして、肝に銘ぜよ。そうしておれば現在の芸は退歩しないものだ」―とのこと。
さらに読み進めていくと、こんな記述も―。「人の命には限りがあり、能の修業には限りがない。各時期のそれぞれの芸を身につけても、さらに老後の段階に似合う芸を習おうとすれば、それは老境の初心の芸である(後略)、と。
その上で、著者はこう結んでいる―。「企業経営もそうだ。はじめの稚拙さ、今日の失敗を工夫しよう。セールスも商品や機械類の製造も同じではないか。はじめにやったつたなさを忘れまい。そうして毎日毎日あらためる努力を続けよう。政治も学問も、いや家庭における調理、洗濯、掃除などもすべて同じことだと思う。
島原倫理法人会(橋本卓也会長)の今年の「初」モーニングセミナーは7日。遅刻せんごて、ハヨ寝んば!?
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