物くるる友はよし!?…バレンタインデーに想う
2月14日は言わずと知れた「バレンタインデー」。由来については古代ローマから始まって諸説あるようなのでぶっ飛ばすが、一般的には女性が男性に「チョコレート」を贈る日だと理解してよかろう。
それが「愛情の証し」なのか、「義理の果たし」なのか、はたまた「友情の印」なのか…形の上ではどうであれ、贈り物をもらって腹を立てる人など滅多にいないだろう。
『徒然草』(吉田兼好著)にもそう書いてあると、森本元成さん(元島原商工会議所会頭)から以前教わった。そのまま原文(百十七段)の一節を引く―。
「よきとも、みっつあり。ひとつには、ものくるるとも。ふたつにはくすし。みっつには、ちえあるとも」。ここで言う「くすし」(薬師)とは医者のことだそうだ。
要するに、隠遁生活を送っているジイ様の目には、「晴々しいもの」とか、「極端すぎるもの」とかは、疎ましく映って仕方がなかったのであろう。筆者も年をとってみて、何となくその「思い」が分かるような気もする。
ただ、さはさりとて、今の時間帯は「バレンタインデー」の午前11時過ぎだが、いまだに「義理」すら届かないのは一体どういうことか?まあ、それはそれで1月後(ホワイトデー)を考えなくてもよいから、気楽ではあるのだが…。
しかし、自身の名誉のために言っておくが「皆無」というわけではない。すでに父の古くからの友人である御年間もなく90歳の荒木ミサコ先生(東京)からは「ル・コルドン・ブルー」という見たこともないような高級チョコがすでに2週間も前に送って来た。
また、地元勢としては、万町アーケードの松屋菓子舗の奥様から手づくりの逸品を、お遣いのお駄賃として早々と頂いた。ただし、両プレゼントとも開封後すぐにペロッと平らげてしまったのでもう手元にない。
これはどう考えても「悪いクセ」だが、チョコでもキャラメルでも、「食べる量」を制限する術を知らない。とにかく、開けたらアッと言う間に食べ尽くしてしまうのである。
その「結果」としての「メタボ」であるから、自分自身でも納得しているのだが、兼好法師からすれば「愚か過ぎる者」として蔑(さげす)まれるのは請け合いだ。
つまり、冷静に自己分析してみるに、筆者には「自制心」という大事な品性が備わっていない。それに、大事な場面ですぐに腰が砕けてしまう。母や家人、妹たちから「へなチョコ」と揶揄(やゆ)されるのももっともである。
0 Comments:
コメントを投稿
<< Home