トースケ先生の思い出…「島原には島原の良さがある」
知事選&県議補選も終わって、喫緊での地方選挙戦の関心事は9日に投票が行われる都知事選となったが、その間に、島原を代表する人物がまた一人亡くなってしまった。
元市議の宮崎東介さんだ(2日死去)。享年86歳。同じ町内会ということもあって、家人たちは幼い頃より「トースケのおじちゃん」と親しみを込めてそう呼び、今回の訃報を残念がった。
筆者自身は〝辛口〟のご指導をよくいただいた。一番印象に残っているのは、森岳公民館で開催されたあるシンポジウムについて書いた記事(雑感)について。
確か、あれは災害前だったか…。某民間団体が主催して開いたその会合の場に市議の姿がまったく見えないことを、筆者は批判的に取り上げた。
すると、その直後の市議会一般質問でトースケ先生が筆者の記事をやり玉にあげた。「何を言うか。市議は皆、己の見識に基づいて普段から活動している。お門違いだ」。
当時、まだ血気盛んだった筆者は一瞬「カチ~ン」と来たが、「議会の権威」という観点からすれば、「さもありなん」と思い直して、それ以上の追及は止めた。
こんなこともあった。その頃、仲の良かった某全国紙の記者とともに自宅に呼ばれた。悠然と構えるトースケ先生。目の前のテーブルには白身魚の夕餉のおかずが―。
他愛もない世間話から始まって、互いに日本酒のお燗を手酌でチビリチビリ。傍目からすれば、とても視覚障害者とは思えないような素振りだった。
そのうちにトースケ先生がこう切り出してきた。「アタンたちゃ島原んこつば色々書きよるじゃろ。そらっ良かったない。仕事じゃらるけん。ばってん、『島原にゃ島原ん良さ』のあるこつば、いつでん忘れんごてなぁ~い」。
簡にして要を得た先達のご指摘に、我々二人は顔を見合わせて納得。随分とご馳走になった挙句に、千鳥足で辞去したことを憶えている。
3日夜に島原会館大ホール行われた通夜式には会場溢れんばかりの多くの弔問客が集まっていた。中に、元市長・鐘ヶ江管一さんの姿があった。
当時の「市長vs宮崎議員」の
トースケ先生の質問はまったくの原稿なし。勿論、事前の通告はされていたのだろうが、縦横無尽に繰り出す〝切り込み〟の鋭さに、執行部がタジタジする場面もしばしば。
ただし、言うだけ言ったら「市民のためしっかりやれよ」の注文を付けて原案に賛成起立。このあたりの〝懐の深さ〟が今の現職の皆さんに備わっているかどうか…。通夜の帰途、ふとそう思った。合掌。
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