2014/03/19

ガンバレ池田高校!!…27年ぶりのセンバツ出場

〈しののめの 上野が丘に 花めぐり そびゆるいらか みどりこき…♪〉

はて何のこっちゃ?と訝る向きも多かろうが、答えを言うと、徳島県立池田高校の校歌の歌い出しの一節である。古くからの高校野球ファンならご存じだろうと思うが、いかがか?

さて、その池田高校が実に27年ぶりに春のセンバツ甲子園大会に出場することになり、このところ主催者の毎日新聞ばかりでなくテレビ等でも盛んに取り上げられている。

「池田」と言えば、何はともあれ「攻めダルマ」と呼ばれた蔦文也監督(2001年死去)である。1974年のセンバツに「さわやかイレブン」(やまびこ打線)を率いて初出場で準優勝を遂げた、記憶に残る名将だ。

筆者が大学を卒業して派遣された先が徳島県。そして、初めて契約まで漕ぎ着けた仕事先の社長さんが「池田」の卒業生だった。あの時の〝感激〟は本当にもう忘れもしない。以来、筆者はいまだに「池高ファン」を続けている。

今のチームがどのような戦力構成なのか知らないが、畠山(→南海)、水野(→巨人)、江上(→早稲田)らを擁した全盛時代の池高の迫力は凄かった。山間の田舎の学校が都会の強豪校を力でねじ伏せる痛快劇に、全ての徳島県民は「阿波踊り」のリズムに乗って狂喜乱舞したものだった。

残念ながら、その勢いは清原、桑田という「大阪・PL学園」の二枚看板に阻まれてしまうことになるが、高校野球本来の魅力からすれば、「池高」に軍配を上げる人が多かろう。

時は流れて、はや二十有余年。筆者も徳島から島原へ、シリトリゲームのように居を移り、職種も180度転換した。その頃、島原半島には島商、国見を率いて次々と全国制覇を果たしていた高校サッカー界の風雲児、小嶺忠敏監督がドンと構えていた。こちらの異名は「ダンプ」。

記者稼業としての筆者の夢は、この「ダルマ」と「ダンプ」の二人を引き合せて「紙上対談」を実現することであったが、夢は夢のまま消え去り、平成の世に入ってからは普賢岳の噴火対応に心身ともに追われてしまった。

しかし、これもまた因縁だろうか…。今から10年程前、国会内でご当地出身の山口俊一代議士(現財務副大臣)と面会した折に、池田の話をしたら一瞬顔を曇らせて、「実はあの寮(今はもうない)は私の自宅だったんですよ…」と教えて下さった。

当時、どんないきさつがあったかのは知る由もないが、色んな思いは恩讐の彼方に置いて、きっと同先生も地元の球児たちの活躍を楽しみにされているもの、と想う。

一回戦の相手は和歌山代表の「海南」(21世紀枠)。22日午前11時半試合開始。さあ、久しぶりに狂喜乱舞して、今でも諳んじている「池高」の校歌を歌うぞ!